たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2004年10月17日(日) 格闘する祈り

今日(10月19日)はもう火曜日だが、まだ日曜日の日記を書いていなかった。

この日の日記は、日曜礼拝の説教のタイトル「格闘する祈り」をタイトルにして話を聞きながらメモしたことを記しておこうと思っていた。


説教の冒頭で牧師はこういう問いかけた。
「気を落とさないで生きるということが弟子たちにできたのだろうか」

実際、先ごろ、わたしたちの教会は愛する若い仲間を失っている。熱心な祈りの果てに兄弟の死があり、家族もまた教会の仲間も今まだ痛みの中にある。そういう中で、イエスの言葉はわたしたちに向かってくる。
「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」と。
気を落とさないで祈り続けることができるだろうか。
弟子たちの課題はそのままわたしたちの課題だ。

聖書の今日のテキスト、ルカによる福音書18章1−8の中で、やもめは訴え続ける事を止めない。訴え続ける事をどこまでも続けていく。ここに祈りの本質があると説教者は語る。やもめの生きるためにこうしてほしいんですという、生きるためのぎりぎりの願い。そのやもめ訴えに無慈悲な裁判官は、うるさくてかなわないから、裁判をしてやることにしたのだった。神は無力に見えるひとりのやもめの訴えを使って裁判官を変えた。人を人とも思わない裁判官でさえ、このやもめの訴えを聞くとするなら、神は日夜叫ぶ、人々の訴えを聞かないはずはないと。
「祈りは格闘だ」という言葉がずしりと響いた。


わたしは格闘するような祈りを祈っているだろうか。
そういう日々もあった。けれど今、生きるためのぎりぎりの格闘からほど遠いところにいる。魂は生々しく動いていないことに気が付かされる。



説教者は最後に
「新しい天と新しい地をめざして祈ろうではないか」という勧めをした。
主の祈りの中にある一つの祈り、

「御国を来たらせて下さい」

この地上にあって神の国の平和と愛と正義を追い求めていく強い祈り。
あきらめることなく、信じて祈り続けるということ。


***************************



   ルカによる福音書 ( 18章1−8 )


1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。

3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。

4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。

5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。

7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。

8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」


たりたくみ |MAILHomePage

My追加