たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2003年12月25日(木) 心静かなクリスマス

毎年来るクリスマス、我が家なりの祝い方があったのですが、子ども達の成長に伴って、
ここのところ、それは大きく変わってきています。

長男は彼女といっしょに過ごすし、次男はまだ寮にいて、サークルの仲間とのクリスマスパーティーがあるらしく、クリスマスイブもクリスマスもわたしと夫だけです。
わたしたちもこの年代の頃はすっかり親から離れていましたし、親より恋人や友人と過ごしたいのは当然のことですから、そういう時期にはそういう時期なりのクリスマスを過ごせば良いのでしょう。

二人だけだと、クリスマスの儀式(ツリーの下のプレゼントの山を順番に開封したりといった)をすることもなく、いつものようにジムへ行き、外で焼肉を食べたりなんていうクリスマスでした。夫はクリスチャンでありながら、クリスマスキャロルが嫌いときているので、クリスマスの音楽もかけず、おおよそクリスマスらしくないムードではありました。

それでも遅く帰ってきたわたしたちに、長男がクリスマスのプレゼント(夫にはマフラー、わたしには Roald Dahlの本)をくれたり、彼女のKちゃんが我が家へのプレゼントに作ってくれた手作りのキャンドル(これがまた、すごくパワフルで、独創的な作品でした)を渡してくれたりと、泣かせる場面もありました。

また、この日にふさわしいメールをいくつかいただき、またわたしもお返事を書いたり、ご無沙汰している方にクリスマスのご挨拶のメールを書いたりすることもできて、良いクリスマスでした。

いただいたメールのひとつは MAKE A WISH
というえんぴつ日記のライターのfunnyさんからのもので、彼女にとってクリスマスは「愛の日」とありました。そして、祈りはエネルギーと思うから、病気の人たちのために祈ってください、という訴えをいただきました。

彼女自身が闘病生活をなさって、闘病日誌を書いていらっしゃるのですが、こうしてはっきりと祈りの訴えをいただいたことがうれしく、ほんとに祈っていこうと強い思いを持ちました。
良くわたしたちは、お祈りしています、とか、お祈りくださいという言葉を口にするのですが、彼女の日記やメールを通して伝わってくるのは、あいさつとしてのお祈りなどではなく、それがエネルギーとして実際に人に働くという確信を持って、訴えかけていると感じました。

祈ろうと思います。いっしょに祈ろうと思われる方は、どうぞ彼女や他の病気と闘っている方のことを祈ってください。

もうひとつのメールは以前から日記を続けて読んでくださっているという読者の方で、はじめてメールをくださいました。高橋たか子の検索からこの日記にたどり着き、それ以来、読んでくださっているということを知り、ほんとにありがたく、また励まされました。
はじめてメールをくださったMさんにしろ、funnyさんにしろ、わたしが日々綴るものを心を止め、時には共感を覚えてくださり、きっと心の中で語りかけてもくださったと思うのです。

そういうこの日記を読んでくださっている方々のエネルギーがわたしに届き、書く力やインスピレーションをいただいているのだろうと思いました。それは祈りととても似ていると思います。そういう見えないけれども、人を生かすエネルギーがそこで交換されていると思います。

語る者は聞く者があってこそ初めて語ることができると聞いたことがありますが、書く者も、読んでくださる方のエネルギーに支えられて書いているのだろうと思ったことです。

この日記を読み続けてくださるおひとり、おひとりの方に支えられて、今年も日記を続けることができたことを心から感謝します。
どうもありがとうございました。

今日、12月25日は心太(ところてん)日記の担当の日でもありました。そこではわたしの8歳の時のことを書いています。
初めて教会のクリスマス礼拝に出た時のことを書きました。どうぞ読んでください。


たりたくみ |MAILHomePage

My追加