たりたの日記
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2003年06月09日(月) 身体が「待った」をかける時

前回、えらく威勢のいい日記を書いたと思いきや、週末の2日間、ダウンし、ベッドの中で過ごした。これはいったい何が起こったのか、何が問題だったのか、今後のために立ち止まって考えてみる必要があるかもしれない。

そもそも6日は一ヶ月も前から予定が入っていて、その日の朝までそこへ行くことに気持ちは向かっていたのだ。この日はミュージカルの公演の後、初めての集まりで、再演の依頼についてどうするかの話合いが持たれる事になっていた。

わたし自身は4月6日の公演の後は舞台を目標にする演劇活動には参加しない旨を演出家にはメールで伝えていたものの、話合いの日を日曜日から私の都合の良い土曜日に変更してくれたという経緯もあり、また一年間いっしょにやってきた仲間とも再会したいという気持ちから、話し合いには参加する心積もりでいたのだ。

しかし、この日の朝、身体がどうにも置き上がらない。熱はないし、風邪をひいた感じもしない。しかし立ち上がろうとするとくらくらと眩暈がし、何より、気分が相当落ちている。身体なのか心なのか、その声の出所は定かではないものの、「行くな」と言う声がする。「行かなくては」という私の意志に対し、私の中のもうひとつの私が全力で「待った」をかけるのだ。内なる声だけであれば、聞かない振りをして出かけるところだが、どうやら身体までその声に協力している。これではもう勝ち目はない。メールで欠席の連絡を取り、ベッドに篭ることとする。

その「待った」の中身は何なのだろう、何を恐れているのだろうといったんは閉じてしまった想いをもう一度解いてみてみようと思った。

舞台までの1年間、自分なりにかなりテンションを上げて取り組んできた。ミュージカルの練習をすべてのことに優先させてきたともいえる。義父もまた私の父も病気を抱えており、ミュージカルなどと言ってはいられない状況がいつ訪れるとも分らない状況だった。しかし幸いなことに父たちも元気でいてくれて、練習も一日だけ仕事と重なって出られなかっただけで、後はすべて出席することができた。確かに気持ちを張ることでかなり困難な状況も乗り切ってこれた。しかし、それを乗り切った後、もう一度自らをその緊張の中に投じることはできないと感じている。演出家もまた他のキャストの多くの人たちも再演に向けてエネルギーを集めようとしている時、このネガティブなエネルギーをその場に持参することがためらわれたことは確かだ。いつだってサービス精神旺盛の私は、自分の想いとは裏腹に、まず相手の期待に答えようと動いてしまう傾向がある。そういう自分の動きを予感した上での「待った」なのだろう。

去年のこの時期、当然のこととして期待していた作曲家の先生の指導やリードを得ることができないことがはっきりし、経験もなく訓練もしてきていない私が音楽担当として任された。その時には春に控えた舞台のことを思い浮かべて脂汗がにじむ想いがあった。時間を使うことや練習自体にはそれほどプレッシャーはないが、ミュージカルとして観客が納得する歌を披露することができるだろうか、そこまで持っていくことができるだろうかというプレッシャーは大きかった。自分の歌うところだけでよければ、いくらでも練習できるが、他の人の歌は私一人があせったところでどうにもしかたない。これが学習の成果を発表する発表会であるなら気楽だ。しかし観客がお金を払って見に来るパフォーマンス。発表会とは違う。経験が無い、努力した、というのは言い訳にはならない。そういう想いを抱えての1年だった。結果はそれぞれの歌はパフォーマンスとしてもそれほど損傷のない出来で、ミュージカルそのものも成功だったと言えるだろう。私自身、他のメンバーと同様、達成感や充実感を感じたことは確かだ。

本来なら達成感や充実感は次のステップへと移行していくものなのに違いない。その点、再演に向けて動き出そうとする他のメンバーは正しい。ミュージカルに対して健康的にかかわってきた証拠だ。それに対して、私には身体のレベルから「待った」がかかる。それは私が自覚する以上に自分の気持ちに無理をさせてきたからだと思う。この点はおおいに反省の余地がある。私自身の性格が抱える問題もそこにある。しかし、その無理を押しても、この一年間そこにかかわるということは私自身が選択し、受け止めたひとつの課題だった。そして課題を果たした今、このひとつのことをすっかり終えたいと思っているのだ。

公演の日、様々な感慨の中で「今終わるひとつのこと、今越えるひとつの山」という歌のフレーズが繰り返し浮かんできていたことを思い出した。





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