たりたの日記
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2003年04月03日(木) 誕生日の朝、バルバラのシャンソンが欲しい音楽だった

まだ今日の時間は辛うじて残っている。誕生日なのだから今日のうちに日記を書いておかなければ。時は待ってはくれない。

去年の誕生日の日記を開いてみた。ジムに入会したことが書いてあった。大の運動嫌いがどうした風の吹き回しだろうと書いていた。あの時点ではこれほどジム通いにハマるとは、またこれほど体力がつくとは思ってもいなかった。1年前を振り返れば、この1年の私の進歩たるや目覚しいものがある。今や駅のエスカレーターは使わずに階段を駆け上がる。駅から我が家までノンストップで走るのも平気。新聞の束を両腕で抱えることだって。ジム通いをそそのかしてくれたFに感謝だ。

さて、今朝の誕生日の朝、音楽は何を聴きたいだろうかと自分に聞いてみる。モーツアルトでも、バッハでもない。さりとてジャズの気分でもない。私が取り出したのバルバラの歌うシャンソン。私が一人暮らしを始めた頃にほとんど一日中聴いていた歌。身を切るような「独り」をさらに際立たせるような歌だった。

早く出かけていった夫と、昼にならなければ起きてこない長男。夕べは友達とオールナイトで帰ってこなかった次男。独りといえば独りではある。それにしてもなぜ、今聞きたい歌がバルバラなのだろう。そんなことを思いながらミルクを泡立てカプチーノコーヒーを入れていると「お母さん誕生日おめでとう!」と朝帰りのMが帰ってきた。今日はいつものマグカップはやめてイギリス製のティーカップにコーヒーとミルクを注ぐ。トーストの代りにチョコレートを練りこんだパウンドケーキ。眠そうなMが「この曲、いいね。独り暮らしに合いそう。この人のシャンソン買ってこようかな」などという。

そうか、私は独り暮らしを始めようとしているMの時を私の時のなかで生き直おそうとしているのだ。ミュージカルのことなどで忘れてしまっているけれど、心は子どもがいよいよ巣立っていくことに特別な感慨を持っているのだろう。親の元を離れてひりひりするような独りの世界へ入ってゆく子どもの気分と、この20年、また18年間、いつも傍らにいた子ども達のうちの一人がこの家を出てゆくことに軽いエンプティネスを感じている母の気分が同時に訪れているのだ。

昼すぎ、バックパックに台本をつっこみ、自転車で桜並木が美しいスポットへ出かける。樹齢80歳の桜の古木41本の並木道はまさに花のアーチ。見上げた空は桜の花のレースの向こうに見える。木の古い幹を撫で、そこに耳を付け、木の音を聴こうとする。木がその根から吸い上げている大地のエネルギーを私もまた自分の内に吸い上げようとする。花のまわりは大勢の人、歌っている人や騒いでいる人もいるのだから、私が木に寄りかかって歌や芝居の練習をしても文句は言われまい。しばらくの間、木に練習を見てもらった。

さて、もう時計は今日の日をすっかり過ぎてしまった。
バルバラのこの歌が終わったらここを閉じ、今日の日をお終いにしよう。





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