たりたの日記
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2002年08月22日(木) 惚れるということ

その昔、私は惚れっぽかった。男によらず女によらず、生きている人によらず死んでいる人によらず、生身の人間によらず架空の人間によらず。人ではないものにも惚れた。音楽だったり、絵だったり、場所だったり、香りだったり。そういう自分とは異なるものからのエネルギーに強烈に刺激され支配されるという意味で。
大人になってから、そういう惚れっぽさも少しづつ治まって、最近などはテレビや映画に登場するいい男やいい女にも少しもときめきを感じることがなくつまらなく思うほどだった。人がみな背景になってしまったような気がした。他人が他人以上の何者でもなく、木や花ほどにも自分の内側に浸透してはこなくなっていた。

ところがこのところそれまでモノクロだった絵がちょうどカラーになるような感じで人が見えはじめている。
今日のこと、ジムでマシーンを使って筋トレをしていた時ふっと顔を上げると一人の女性と視線が合った。エアロビクスのクラスで何度か見かけていた人で、なぜだか目がそちらに引き寄せられる感じに自分でも気が付いていた。視線が合った瞬間、私がどきりとしたのが微妙に相手にも伝わったのか、瞬間エネルギーがぶつかり合う。その人の姿を追おうとする自分にさからって極力彼女を見ないように努めながら「全く、中学生じゃああるまいし」と大人らしからぬ自分の心の動きにあきれた。
しかし、一方でこういう心の動きをおもしろいと思っているのも事実だ。いったい、数限りない人間の中で彼女に特別に心惹かれるのは私の何が作用しているのだろうかと分析してみたくもなる。

その女性、歳は私よりは2,3歳は上、もしかするとすでに50代。すこぶる細く、ショートカットで、ショートパンツの姿は少年を思わせる。もうエアロビクスを20年はやっているといった感じで格好も決まってるが、引き締まった無駄のない身体は鍛えたものにしかない美しさがある。成熟した女性の顔というよりは中性的なあどけない顔。愛想笑いなどはできないタイプだ。人と話す時も笑顔を見せない。世の中の何にも心を動かされないといった超越した感じがどこか漂っている。言葉の人ではないような気がする。音楽の話が合うとも思えない。おおよそ共通する話題が取れそうな感じはしない。これまで接触してきたことのないタイプということだけは分るがお互いに苦手なタイプなのかもしれない。

私とは全く違う人間。私が感じることと違うことを感じ、異なる世界の中で生きている人。おそらく話しをしてもお互いの言葉は通じあわないに違いない。それならなぜ特別に彼女に惹きつけられているのだろう。
私はおそらくまるっきり自分とは正反対のものを彼女の中に見ていて、それがひとつの引き金になって、それがわたしの中のファンタジーを呼び起こしたのだろうか。それが私自身の現実とは違っているという理由で。
惚れるという現象は現実とファンタジーの世界を隔てている厚い壁がある瞬間に消えてしまって現実の中にファンタジーが侵入してくることではないだろうか。もうその瞬間に現実のその人間を離れてファンタジーそのものに支配されはじめるような気がする。憑依される、囚われる、自己が自己をコントロールできないところに置かれる。

私の場合、それが高じてくると元のところに戻りたいという気持ちが作用し、生身のその人間と話しをしたい、実際はどういう人なのか確認したいという欲求にかられる。人間以外のものであれば、それに関する本をとことん読んだりといわゆるはまり込む。そうすることでバランスを取り戻し、自分のコントロールできるところに持っていきたいと思うのだ。さて、その女性と私は人同士としての出会いを果たすことになるのだろうか、それとも何の出会いも交流もないまま行過ぎるだけなのだろうか。




たりたくみ |MAILHomePage

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