たりたの日記
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2002年08月17日(土) 歌の指導

その昔、新卒で赴任した小学校で歌の指導に命をかけていた時期があった。命をかけるとは大げさだが、そこにかなりエネルギーを注ぎ夢中になっていたことは確かだ。そんな時があったことをもうすっかり忘れていたのに、ここのところミュージカルの歌唱指導をするようになって当時のことを20数年振りに思い出している。

新卒で初めて受け持ってのは小学校3年生のクラスだった。子どもたちに初めて会う日、私はギターを抱えて教室に入った。当時ゴダイゴが歌っていた「ビューティフル ネーム」を歌った記憶がある。国際児童年の年だった。恐らく私は当時見た「サウンド オブ ミュージック」に影響を受けていたに違いない。新米の家庭教師を追い出そうとかかっている子ども達に歌を教えることで、子どもたちの心を掴んだマリアに習って、新任教師を不安気に見つめる80の瞳に内心たじたじとなりながら、彼らの心を掴むべく私は必死で歌ったような気がする。とてもジュリーアンドリュースのような美声ではなかったが、子どもたちの眼差しから警戒心が取れ、気持ちが繋がっていくのが見えるような気がした。

それからというもの学級経営は歌を中心に据えてとばかりに歌を歌った。子ども達の心をふつふつとさせる歌を見つけてきてはは足踏みオルガンをキコキコと力いっぱい踏んで、朝に夕に歌い続けた。はじめは固く、よわよわしかった子ども達の声が次第にのびやかで張りのある声に変っていき、その歌う表情に魅了された。歌い終わった後のふんわりと柔らかく解きほぐされたようなクラスの空気はなんとも心地よかった。上手く歌うことでも、美しく歌うことでもない、自分を表現することの喜びを知らせること、お互いの歌声の中に共感の喜びを感じさせること、これが私の目標だった。

ミュージカルの歌唱指導なんて、大人に歌のレッスンをするなんてとしり込みしていたものの、いっしょに歌を作っていきながら、歌の指導に夢中になっていた頃の自分が自然に戻ってきた。数時間に及ぶ歌唱指導、確かに相当なエネルギーを注ぐので終わった時には放心してしまうほどだが、なんとも心地良い疲れである。


たりたくみ |MAILHomePage

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