たりたの日記
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2002年04月03日(水) 誕生日、事始

40の手習いか。そういいながら、40になってからいくつかの「手習い」をやってきた。スピリチャルヒーリング、ボイストレーニング、ヨガ、よくよく考えてみると、この3つに共通することがある。「からだ」と「こころ」との関係とでもいったらいいのだろうか。こころの有り様をからだのレベルでとらえていく。また身体をある状態に持っていった時に起こるこころの変化をとらえていく。

今日の誕生日のお祝いにジムの会員になるという贅沢なことをやってしまった。運動には小さい頃から縁がなく、というより忌み嫌っていて、大人になって体育というものをやらなくてよい身分になったことが何よりうれしかった。運動しないのは身体に良くないということは分かっているものの、何を好き好んで嫌いな運動をするだろう。だいたい運動という言葉自体嫌いなのだから。

こんな私は月ぎめの会費を払ってこれから、空いている時間にはジムに通おうというのである。我ながらいったいどういう風の吹き回し?という感じである。
ひとつはダイエットは成功したものの、悪玉コレステロールは年々、高くなるばかりで、医者からも「運動」の必要を説かれていたことがある。2つ目は私と同じくらい運動音痴で運動と縁がなかった友人のFが10月以来、スイミングにはまりにはまっていることである。毎日プールに通っているのだという。クロールも背泳ぎも出来るようになったとあれば、私も何とかなるかも知れない
という気がしてきた。それにこの頃は水が好きで、一日でも水(お湯)の中に浸かっていたいほどである。温泉や銭湯で3時間くらいボーッと過ごすのもいいけれど、どうせ水に浸かるんなら身体を動かしながら入った方がいいに決まっている。4月3日までに入会すると3万円の入会金が無料になるという有難いクーポンをFからもらっていた。都合のいいことにこの日は誕生日。何となく大義名分も立つような気がしてくる。えいやっとばかりに会員の手続きをしたのである。

だいたい私は泳ぎが好きだったりうまかったりしたためしがないが、私より10も20も年配のおばさまたちに混じって初心者向けのクラスの中にいると私だって出来るという気になるから不思議である。
まずは背泳ぎ、息子くらいの年のかわいい顔つきの少年がインストラクターなのだが、おばさんたちに劣等感や不安を与えないように笑顔を絶やさず、言葉がけにも思いやりがある。こういう立場に立ってしまったことに複雑な心境はあるものの、インストラクターの指示通りにあごを引き、目線を下に下げ、肩の力を抜くと気持ちよく背泳ぎの形になる。足を持って動かされると、見たり聞いたりするのでは分らなかったこつが初めて分る。こういうのをスイミングレッスンというのかと何にでも感心する私はここでもひとしきり感心する。次は水中エアロビックス。これも我が子くらいの年の元気のいいお姉さんがのりの悪い、おばさんたちを乗せようとそれはがんばっている。日頃、乗せる側として心を砕いている身には彼女のパワフルなリーダーシップや健気さが心地よく、いい仕事をしていますねと声をかけたくなった。それにしても、かなりの運動量である。しばらくFとしっしょに、ジャグジーでマッサージしたり、リラックスしたりしていると、クロール1のクラスが始まったのでこれにも参加してみる。なるほど、初歩の生徒にはこういうふうに指導するのかとスイミングレッスンのメソッドが面白いと思った。

そういえば、私の育った時は小学校にも中学校にもプールがなく、まともに水泳を習っていないのだ。小学校の教員免許をいただくために、死ぬ思いで、ほとんどおぼれながら25メートルをクロールもどきで泳いだことは泳いだ。正しいフォームなど知らないで闇雲に泳いでいたから溺れそうになったのだと今ごろになって思う。しかし、こどもの時か、さもなければばうんと歳を取ってからしか、泳ぎ方を習ったりできないものである。おばさんももう後半の方になれば、ビート板も抵抗無く使える。

午後からは水から上がり、スタジオであっているエアロビクスや器具を用いてのトレーニングをやるつもりだったが、もうそれをやる元気が残っていなかった。それでも食事をするとまた元気が戻ってきて、帰りは真っ直ぐ家に帰らないで、大宮に出て、教会へ行く。もうお若くはない牧師夫妻にとって、本の詰まった重い箱をひとつ動かすだけでも骨の折れることに違いないと夕べから気になっていた。暮れるまでの短い時間だったが少しお手伝いをする。牧師夫人と生協のこと、食品へのこだわりのことなど親しくお話できて良かった。



たりたくみ |MAILHomePage

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