たりたの日記
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2001年07月23日(月) 最上のわざ

いつだったか、車で移動している時にたまたま見ていたカーナビのテレビで、
長岡輝子さんの朗読の場面が流れていた。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が耳に入った瞬間、込み上げてくるものがあった。諳んじるほど馴染みのある詩なのに、まだ汲みとっていない部分があったのだ。初めてのように強いものに突き動かされた。そしてこの番組の最後に彼女が朗読した「最上のわざ」という詩
に掴まれる思いがした。その後、ネモさんから、この詩が長岡さんの著書
「老いてなお、こころ愉しく美しく」に載っていると教えていただいた。

この読み人知れずの詩は上智大学で教鞭を執っておられるヘルマン フォイヴェルス神父の友人から送られた本に挟まれていた詩だったということで、
神父が訳し、御自分の随想集『人生の秋に』に書かれているということだった。

数日後に帰省を控え、老いた親達のことを思い、この詩のことを思い出した。
人生には様々なステージがあるが、何もできなくなって人の世話になるその人生の最後の時を、これほど恵みに満ちた時として書かれているこの詩は胸を打つ。その時を迎えている人には安らぎを与え、これからその時期を迎えるものには希望を与えてくれるように思う。ここで紹介することをお許しいただこう。



最上のわざ         作者未詳 ヘルマン フォイヴェルス訳

この世の最上のわざは何?
美しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう―。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること―。
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために―。
おのれのこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事―。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ―。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために―。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と―。

長岡輝子著
  「老いてなおこころ愉しく美しく」 草思社 より










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