喧騒及煩悩日々是徒然
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あえて今日はこのタイトルをつけました。 だからといってまんまそのままトート閣下を語ろうなんて言う訳ではありません。 ストレートに英語や日本語で書いてしまうと精神的に痛いので…。
トート閣下という存在を知ってから、私の中での「死」というものの捕らえ方が変わってきたのは事実です。 閣下は「死」が持つものは「恐怖」だけでないことを教えてくれました。 突然抗えなくなる死への甘美な誘惑…。私はそれが閣下の姿であると思ってます。
それで何故こんな事を書き始めたかというと、近所のお医者様が亡くなられたのです。 医者だから死なない、なんて思っているわけじゃありません。 人間いつかはその瞬間を迎えなくてはいけないのです。 医師(せんせいとお読みください)はかなり前から体調を崩して入院されていたので、ついにその瞬間がきてしまったのだなぁと思う反面…無常だなぁなんて。
以前も別口で書いたことですが、私は『死』ということで失って初めてその人の持っていた存在の大きさに気づかされました。 何一つ変わっていない日常なのに何かが足りない。ぽっかりとそこだけが抜け落ちてしまったかのように。 ドアを開けると嬉しそうに笑って『よく来たな』と迎えてくれていた祖父。 そんな祖父は8年前にこの世を去りました。その後家を訪ねて目にした座椅子…いつも祖父が座っていた…誰も座る人のいないそれを目にして初めて祖父はもうこの世にはいないということを実感させられました。 あたりまえの日常で、私はご飯食べて、用足して、生きているというのに。そこだけが違っているのです。 祖父が亡くなった日、冷たくなった祖父に触れた瞬間のショックは覚えています。 氷のように冷たくなって、固くなってしまって…もういつものように笑ってくれない、しゃべったりもしてくれない…ただの物体になってしまって。 そのまま私が触れつづけていればその冷たい体は温かさを取り戻してくれるだろうかと額に手を置いて温めつづけても。私の手が冷たくなっていくだけ。 その感覚は多分忘れることはないだろうと思っていたはずなのに…私は忘れかけていました。 昨年、祖母が亡くなって…その冷たい体に何気なく触れてしまった時、8年前の記憶がよみがえりました。 私は…忘れてしまってはいけないものを忘れてしまっていたのではないかと。 いつまでもそれにばかりとらわれていてはいけないのは判っています。 でも…あったはずのものがなくなってしまったという時の心の空虚感。 それを埋めるのに私はかなりの時間がかかりました。 …実際は私なんかよりも、子どもである母や父の方がつらいんでしょうけど。 でもそれ以上に今はっきりと思い出したことがあります。 祖母の横にちんまりと座った祖父が私たちに言った一言。 『バァちゃんはお嫁に行くんだよ。よかったなぁ綺麗になって』
…だめだ。これいじようかけないや。
どうしてこう私ってば言いたいことのちょこっとも書けないんだろうな。 でも…まだ泣けるってことは私の中でのジィちゃんとバァちゃんき生き続けてるってことだよな。
ジィちゃん、バァちゃん。私はこんなだけど…一応頑張ってるからね。
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