■ゆうべはおどろいたー。 夜中突然「ボン!」という音が聞こえまして、 その時ウトウトとしていた私は車のボンネットを閉める音かな〜くらいに思ってたのですが もう少ししてまた同様の音が鳴り、 その後遠くからウ〜ウ〜ウ〜という音が徐々に大きく聞こえ。 あれぇ火事かな…とまだウトウトしていたのですが、その直後 「火事が発生しました、お近くの方はうんぬんかんぬん」 というアナウンスがハッキリと聞こえてきてさすがに飛び起きた。 我が家はマンションの5階なんだけど、私の部屋は北側、玄関横でして その私の部屋からものすごくはっきり聞こえたので多分こっちだ、 と思って玄関の戸を開けたらば!
すぐ目の前で火の海が!!! ええええ?!?!といきなり目が覚める私。 さすがに隣ではなかったものの、 隣の隣の隣の区画あたりでもうメラメラとオレンジ色が発している。 さすがにおかんとおとんも起きてきて、呆然とそれを眺めていた。 次々と消防車は来るし雨もかなり降っていたのだけれどレンジは大きくなるばかり。 更にはまたボン!ボン!と音が次々聞こえてくる始末。 うわわわわどうなっちゃうんだ…と思っていたのですが、 次第にオレンジに煙が混じり始め、徐々に鎮火へ向かっていったようで その時点で夜中2時は過ぎていたので部屋に戻ったのでした。 しかしその後も消防車救急車がどんどん来て(1時間くらいはそんな状態) 結局ロクに眠れず朝… 寝不足のまなこにPCのディスプレイは鬼のようでした。 眼球の裏が痛くて痛くて即帰宅、(私もボギーさんソロ見たかったよ!!) …の前に、火事現場と思われる場所に行ってみた。 木造の古いアパートがものの見事に焼け落ちていた。 8部屋あるアパートは全ての部屋が炭になってしまっていて。 そこに居たご近所のおねえさま方(みのもんた風)の話によると、 ひとり怪我をされた方が居る他は皆元気で公民館に避難しているとか。 命に別状なかったとのことでよかった。 あんなにすごい炎だったのに、隣りの家などには全く燃え移らずだったのも不幸中の幸い。
しかし近所のスーパーに立ち寄ったらやっぱりこの話題でもちきりだった。 消防車10台くらい来てたらしい。ひょえー。
■昔から思ってることなんだけど、 生きていると常に死と隣り合わせなんだなあと思う。 隣りの家でガス爆発があるかもしれないし 駅までの道でガーンと車にはねられるかもしれない。 平穏無事に生きていられるのは糸でつなぎあわせたような偶然か奇跡か。
■例の11歳の事件があって、 ネット上でそのことについて書いている日記などをいくつもみたけれど 人を殺したい、と思ったことがあるって人が多いのに驚いた。そうなのかー。 私は「お前なんて死んでしまえ!」と思ったことはたった一度だけありますが (微妙にニュアンスが違うのよ) 人を殺したい、と思ったことはないなあ。 むしろ死にたい死にたいと思いながら10代〜20代前半を過ごしていた。 とにかく生きているという事実が辛かった。 今は少し慣れたかな。 時間は僕らの味方です、という、 10代の頃に聞いた言葉は今も私を支えている。
■それにしても言葉の残酷さを思う。 言葉の持つ意味は、音になるより文字になるほうが深く刺さる。 WEBには日記と名のつく(またはそれに似たもの)がたくさんあるけれど 決してそれは本来の日記と同じものではなく、 むしろ心の中をきりひらいて世界中にさらしてるもの。 あまりに自分だけのもの、として安易に晒している場が多すぎると思う。 WEBに乗せた時点でそれは自分だけのものではなくなる。 そしてそこには音や表情はない。 だからこそ、日常で相手の顔を見て話す時よりも何倍も何十倍も 気をつかわなくてはいけないと思うのです。 人に会うときは言葉を選ぶのに WEBに書くときには言いたい放題というのは危険過ぎる。 WEBってもっと怖い場所。 言い訳しながら言葉を選ばない人を私は悲しく思う。 そして、自分もそうならないようにしなくては。
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