■その昔友人と討論をしたのだけれど、 「より知ったほうが幸せか否か」ということ。 “全てを知ることが幸せだとは到底思えない”と言う私に、 彼女は“それでも知ることの幸せの方が強い”と言った。 当然ながらその討論に結論なんて出なかったのだけれど、 尊敬する部分をたくさん持ち合わせている彼女の持論を聞いているうちに まだその意見を支持できないけれど、理解はできるなあ、と思ったものだった。
■あれから何年経っただろうか。
■今でも、全てを知りたいとは思えない、と考える私は子供なんだろうか。 むしろ全てを知るのは恐怖だ。 知ることを望んだわけでもないのに事実を突き付けられたあの日から、 私の時間は止まっている。
■別の誰かが言った、 人間にとって一番必要で大きな能力は、「忘れる」ということだと。 記憶していくチカラよりも忘れるチカラのほうが大事だと。 忘れることが出来るから生きていくことができるんだ、と。 積み上げた記憶の多くははまだ私に優しい。 それは幸せなことなんだとは思う。
■でも、本当に忘れたいことが何より鮮やかに刻まれてしまうのはどうして。
■暦の上は春を迎えた。 今年もまた春が来た。 生暖かい風が吹くたびに、消えない記憶がしめつける。 これはクセだ。自分に言い聞かせている。
そんな日々。
■何度も「何故だ」と問われたけれど、 そこは私にとって一番大事な部分だったのです。 大事にすればするほど、ほんのちょっとのことで脆くなることくらい 知っていただろうに。
「とにかく DCPRGというのは、ガキから中年まで、何かに飢えた人々が(笑・僕を筆頭に)3時間も狂ったように踊り狂う場なので、その点、ご了承下さい。」 (菊地成孔「renouvellement&nouvelles」より抜粋)
■うわはははははははははははは。全く間違ってないね。 明日はまた何かを求めて3時間狂ったように踊り狂います。 DCPRG@AX。
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