Water Garden
あや

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■ 東海豪雨の記憶


テロから2年。
東海豪雨から3年が経ちました。


巷ではテロのニュースばかりですが
名古屋近郊に住んでいた私には、
この日も忘れられない一日となっています。





まずはあの日、自分が置かれた状況から。


私は大通りに面した、某携帯屋に勤務していました。
降りしきる雨に客足も途絶え、半ば自棄気味に
店の掃除なんかをしていたんですが…

さすがに道路の冠水振りが尋常じゃなく、
道路と段差の無い、周りの店が閉店の支度を始めると
私も店長と交渉して帰宅することになりました。
これがあと30分遅ければ、家まで帰れなかった訳ですが(--;;


JRが完全に止まっていたので、
地下鉄で上小田井(地下鉄の終点)まで出て、
母&弟の迎えを待つことに。


上小田井まで出ると、そこはもう人、人、人。
そこから先の岩倉、犬山方面が止まっていて
駅はもうドエライ(大変な)ことに。こりゃ駄目だと思い、
少し離れた書店まで歩き、そこで待つことに。


当時、J社とD社の携帯を持っていたんですが、
周りを見渡すと繋がっている人の携帯は現在のau。
しかもCdmaOneじゃない、旧機種(デジタル)の方のみ。
他社が繋がるわけないじゃーん(;´Д`)

泣きそうな思いで携帯を両手(笑)に持って、同時発信。
周りに不審な顔を向けられても、
繋がったモン勝ちだもんね、と自分を慰めましたよ(^^;;


連絡がついたのが30分後くらい。
実際、母&弟が到着したのが3時間後!


私の隣で待っていたお姉さんは、自宅は可児で、
かれこれ6時間ほど、迎えを待っているとの事。

出来れば途中まで乗せていってあげたかったけど
迎えと連絡がつかない状態じゃ、入れ違いになっちゃうし。
何だか申し訳なかったです。


順調に帰れたかというと、勿論そんなことは無く。
名草線で一気に北上する予定が、道路の冠水、
放置された自動車に阻まれて、敢え無く断念。


22号なら、と思ったけどこちらも様子は変わらず。
信号待ちをしていれば、隣の車は雨でブレーキが利かず
停止線を越えて交差点の真ん中で止まっちゃうし、
トラックが来れば、大津波で前は見えない&横に流される
という、とんでもない有り様。

……

店を出たのが17時。
自宅に着いたのが23時半。


危うく午前様。
ぐったりした一日でした…。





翌日は元々仕事はお休みだったので、
家で一日中ニュースを追いかけていました。


で、翌々日。


やっと動き出したJRで出勤したんですが
枇杷島で衝撃が走りました。


窓から見える景色のすべてが、水に沈んでいるんです。
茶色い水に沈む家々に言葉も出ず、しん、となる車内。
しばらくすると嗚咽を漏らす人も。


私自身、泣きそうな思いで町を見下ろしていました。


店についても、話題は豪雨のことばかり。
上小田井に支店があるんですが、
やはり上小田井店も沈んでしまったとの事。


身長180�儖幣紊△訝棒�社員が、服を頭の上に乗せ、
携帯や煙草を手に持ち、万歳の姿勢で店に向かうと
水は首の部分まで来たそうです。


勿論店内は水浸しとかってレベルじゃなくて、
椅子やら机が、天上付近まで持ち上げられ
プカプカ浮いている状態。

水が引くのに3日。
再建するのに1ヶ月かかりました。
店だから復旧は早かったんですけどね…。


豪雨から1週間後かな。
K嶋や昌彦さんとお出かけした際に
うっかり被害がひどかった地域に入り込んでしまい
物凄くバツが悪かったことを覚えています。


公園にはごみが大量に投棄されているし、
道路の脇には水浸しになった家財道具が積み上げられてる。
住人は臭いに悩まされながら、掃除をしている。
こんな状況の場所に迷い込んじゃ駄目でしょ(--;;


……


そして現在私が住んでいる所も、
豪雨当時は、水に沈んだ地域です。
っていうか、迷い込んだところだし(苦笑


二度と豪雨による被害者が出ることがありませんように。


そして豪雨だけじゃなく、1年後のテロ被害に遭われた
全ての方にご冥福をお祈りいたします。




まとまりが無い文章で申し訳ありませんでした。


2003年09月12日(金)
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