日々日記
いちらんふるいあたらしい


2010年01月29日(金) ああもうグチャグチャだわこの文章。笑

書き直そうと思ってたけど、思ったままを思ったように書く日もありだ!ということで
そのままにしとく。20100204

ttp://tanigami.tumblr.com/post/356352251/11-10-skype

オザケンがすごいことを言い放った。(上記URL参照)
世の中の政治家が、政府が、聖職者が、社会学者が、言わねばならなかったであろうに、
言ってこなかった事を。

大阪の釜ヶ崎は、日本に作られたゲットーみたいなものだ。

地図には決して載らない地区。彼等を本気で助けようとすれば、大阪府はそれが出来るけど、
府民に釜ヶ崎の人々を「ふつうの府民より社会的地位が低く、人並み以下の生活を送る人々」
として位置づけさせて、府への不満感情を逸らす目的で、あえて彼等を救済せずにそのままに
している。

オザケンが触れたのはこの問題に通じる事だ。

さてここで私が言いたいのは、うちの大学の学生の例えば何人が、
オザケンの叫びにも似た鋭い指摘にアクセスできるんだろうか。ということである。

私たちは私たちの「思想哲学」を知らない人を一段下に見るようになっている。

たとえその「思想哲学」を知らなくても、世界を見渡し、私達の住む世界をつぶさに観察し、
問題点を掘り起こし、世に向かって問い、問題と対峙し、闘っている人々が
世界にはごまんといる。

「思想哲学」を知らないからって彼等は別に愚かでもないし、かわいそうでも、
気の毒でも、劣ってもいないと思うのだけど、それが内側の人には通じないんだなー。

そういう賢明で懸命な外部の人と、
同じ市民社会の一員としてもっと正常に交流し合える時間を持たないと、
「彼ら(一応私もまだその中に含まれる)」は本当に世界から取り残されるだろう、
ということを憂えているのである。

それをあの大学の中で、どう言ったらいいのか。
そして言っても誰に通じるんだろう?ってことをずっと思ってるんだけど、
まだ答えが出ない。

「彼ら」と「私」は、すでにあまりにかけ離れた世界を見ているからだ。


その位、「私達」が安心しきって身を委ねて称讃している「このコミュニティは」、
実は多分に病んでいる。

周辺及び末端の人々が徐々にその異変に気付き始め、そして中央だけが病理にも
人々の気付きにも、全く気付いていない。多分、ずっとずっと気付かないだろうと思う。

夜明け前でまだ十分寝ていられるのに、読むうちに目が冴え、
読みおわったら動脈から血がほとばしるように言葉を書き連ねたくなるほど、
オザケンの言葉は衝撃的だった。

追記
起きて読み直してあまりにひどい文章でびっくりした。
時間のある時に書き直そう。


inu-chan