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2005年09月14日(水) 介入研究は誰のため?

いよいよISCARが迫ってきた。最近、某MLでもISCARの話題でもちきりである。というわけで次の日曜日にはわたしたちスペインへと旅立ちます。しかし、「異文化を体験するって大事なことだよねー」的な、この周囲の浮かれムードとは正反対に、私はいま非常に追い込まれております。
ああ、ポスターできあがるのだろうか。日心でも原稿すすめるつもりでいたのだが、いかんせん、学会は誘惑が多いでござる。

そんななか、某MLでは、Mike Cole がISCARの見所のひとつとして「介入研究 (intervention study)」のことをあげている。いわく・・・

介入側と、「援助される」側との権力関係がどのような影響を与えているのかをどうやって知ることができるだろうか?。そこに何が生じるのだろうか? これは、つまり「誰が介入研究の主体であり、誰がそこから利益をえるのだろうか」という問いといいかえられる。


これは僕が今度、スペインで話そうと思っていることとも関わっていると思う。

臨床実践についての事例研究は別として、僕は介入研究というのをしたことがない。でもフィールドワーク研究っていうのは少なからずフィールドへの影響を与えるものだし、またこちらは大なり小なり相手の役にたちたいという欲望をもっているものだ。そういう意味ではフィールドワーカーと対象者との関係にも置き換え可能な話だと思う。

先日の学会で指定討論として話したように、対話とは「ああ、その話か」とすぐに位置づけられてしまうような会話のことをいうのではないと思う。もちろん、そのときそのときでは、相手の話を自分なりに理解しているのだろう。けれども、そういう一貫した物語をくじくような<出来事>にであい、その度に自分がいままで見えていなかった世界へひらかれていくことが対話なんではないかと思ったりする。

いわゆる「研究者倫理」なんてものは、テキストになった倫理集を守るというよりも(もちろんそれは大事だが)、このような関係をいかに続けられるかってことではないかな、と。

ああ、日本語でもなかなか伝えられないこの話を、英語で伝えられるのだろうか。そして英語もおぼつかないというのに、スペイン語なんかようしゃべれるんだろうか。とりあえず、「カードで支払いたいのですが」「おいくらですか?」「〜行きのバスはどこからでますか?」くらいは覚えていきたい。


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