I create you to control me
DiaryINDEXpastwill


2005年07月18日(月) ナラティブデータ合宿(よいこと編)

7月16-17日の2日間、兵庫県の家島で科研主催の合宿。ナラティブデータ分析合宿と題して、質的研究、とりわけナラティブインタビューをあつかったそれのデータ分析過程を丹念にみることにこだわった合宿だった。

共同企画者の徳田さん、荒川さんの多大なる助けをかりて、無事に企画を成功させられたのではないかと思う。

学会では質的研究をよくみるし、わりあい好意的に受け入れておられる方も増えてきた。しかし、その一方で、質的研究はともすると「職人芸」といわれたり、「恣意的」といわれたりする。つまり、研究そのものに対する漠然とした認知はなされてきたものの、内実については半信半疑といった感じが強いように思う。

でも、よく比較されるいわゆる「数量的研究」もまた、そんなに簡単にやれるものでも、内実が理解できるわけでもないんじゃないかしら。学生が実習でやっているように、苦労して質問紙をつくり、あれこれ分析してみて、結果の出力を読むという過程をへて、ようやく「質問紙法」とはなんなのかということが内面化されていくものだと思っている。

煎じ詰めれば、数量的といわれる研究であれ、質的といわれる研究であれ、大事なことは変わらないように思う。それは、研究者が目的とすることが面白いのかを吟味すること、目的のためには現象をどのようにみるのが必要で、どのように切り取ったらいいのかを検討すること、あるいは、すでにある「このデータ」は、明らかにしたい問いにとって何なのかといったことを丁寧に省察する、ということにつきるのではないだろうか。

ただし、いわゆる「質的研究」というのは、研究過程が個人的になりやすく、他者がどのようにそれにからんでいいのかわからないということもおきやすいように思える。データの量も尋常ではないし、データにまつわるプライバシー(インタビューイ、研究者の双方にとって)というのもあるだろう。

それだけに相互に議論できる場づくりというのが大事になってくる。ひとりで抱え込んでいては、いつまでたってもひとりの研究者の問題はその人のもののままだ。つたなくても外にだした結果は、みなで共に考え、意見しあえる環境をつくるものになる。つまり、議論の流れとしては、研究者−フロアという2者関係のままではいけなくて、研究者−データ−フロアという三者関係になることが必要なのだが、それを質的研究はこれまであまり真剣に考えてこなかったということではないだろうか。それが(ひどい誤解に基づくものや、ためにする批判は別にして)「恣意的」「主観的」とか「職人芸的」といった批判にもつながっているように思える。

ポイントは研究過程をどうしたら公共化できるかということであり、どうしたら参加者が発表者の目的を共有しつつ、自らの身にひきつけてデータと向き合えるかということだ、と思う。

その意味では、今回の合宿では少しでもみんなで共有しつつやることができる場が用意できたのではないかと個人的には思っている。準備の過程では、発表者、企画者双方が、議論を実りあるものにするためにはどうしたらいいのか、どの程度のデータをどのような形でもちより、どのような問いをなげかければいいのかということをめぐってかなり議論されたように思うが、この議論がそのまま質的研究において何をどのように共有するかというフォーマットをつくる基礎になったのではないかと思う。発表中も、一次データに近いものがもつ迫力に後押しされて、非常に生成的で、自らの身にひきつけた分析過程の吟味ができたように思う。

もちろん、反省点もいっぱいあってこれが最も大事なのはわかっているのだが、それを考えるとへたってくるので、とりあえずいまは自画自賛しておくことにする(笑)。


INDEXpastwill
hideaki

My追加