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2005年03月10日(木) 反省は必要か?

朝から確定申告。込み合うかと思って早めにいったらガラガラだった。
以前は、確定申告といえば還付金が楽しみであった。が、最近はこってりとしぼられる。ああお代官様、それじゃあ庶民は生きていけねえですだ(涙)。

あんまり早く終わったのでファミレスで朝ご飯とりつつ原稿。家族をのせて彦根まで。そして湖岸通り沿いのココスでまた原稿。

その後、大学にもどって図書館で調べもの。『越境する知:身体、よみがえる』の佐々木正人さんの「あらゆるところに同時にいる」(pp.225-247)を読みかえす。少々、自分の解釈に自信がなかったのだが、どうやら大丈夫そう。

せっかく図書館にいったついでに『社会学評論』もみてみる。中河先生の社会構成主義に関する論考がおもしろそうだった。

ラディカル・レフレクシビティなどの、研究者のとりくみ自体についての反省は、エスノメソドロジー的な関心からでたものではないという意見があることは知っていたが、ここにもそう書いてある(だって参照している論文が一緒だからね)。エスノメソドロジーの記述は、日常生活において人々がおこなっている言語実践となんら身分的にかわるものではない。だから、エスノメソドロジーにおいて、研究者の位置が特権化されているなどということはない。したがって、研究者のあり方についての反省なんて必要ない。

エスノメソドロジーの記述もまたひとつの言語実践にすぎないのは承知しているつもりだけれども、だったらその記述が他の実践とどういう関係にあるのか示さないことには、相手との対話なんて成立しないんじゃないだろうか。他者の言語実践となんら身分的に変わらないはずの研究者の記述が、どうしてそこで語りー聞かれなければならないのか。その必然性について説明しなくては、単なる研究者のモノログになってしまう。


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