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2004年09月09日(木) 長い一日

現在、朝の3時50分。

「明日は朝一番の新幹線にのらなければいけないから、早くねよーっと」といったのは遠い昔。

いっこうに眠れない。ここのところ、いつも学会前には眠れなくなってしまう。

考えてみよう。新幹線にのるには6時20分くらいの電車にのらねばならぬ。うちから駅まで歩いて15分くらいなので家を6時にはでねばならぬ。ということは、朝の身支度など考えると5時には起きねば、ねばねば

・・・・・・って、もう1時間とちょっとしかないやんけっっっ!!!(ひとりギレ)。

ということで最後の抵抗にと寝ておくことにする。32時間起きて16時間寝るサイクルが一番あっているとおっしゃる研究者もいらっしゃるが、残念なことに(いや、幸いなことに?)僕の身体はそんなふうにできていない。



(2時間後)


朝、一番の新幹線で東京へ。池袋で東武東上線にのりかえ、東京国際大学へ。
今日は日本心理臨床学会。これまで臨床心理学専攻を自称しながら、あまり足がむかなかったのだが、今回は奈良女子大学の森岡先生がシンポジウムに呼んでくださったので、ひさびさに顔をだした。

午後一番のセッションでは、セラピストの「ガチンコ」について考えるというセッション。受容と、共感ばかりが強調される臨床心理士であるが、やっているのはそんなにソフトなことばかりではない。ぶざけてばかりでいつまでも知能テストに応じようとしない子どもを叱りつけるテスター、非行傾向があらたまらない生徒を一括するセラピスト。いずれも周囲からみれば、セラピストらしくない行動のようにもとられるのであるが、これもまた援助のうちである。

私にはなかなかできないことだが、わずかばかりの経験をほりおこすと、中学校でタバコを吸っている生徒を目撃したとき、だまってとおりすぎるわけにはいかず、「そんなことしたらアカン」と言わねばならなかったことがある。学校の教師でもたまにいらっしゃるが、こういう時にあいまいにしたり、見過ごしたりするのは、その場はよくても、結果的に生徒の信頼を著しく失うことである。それも見過ごした当該の生徒からである。

受容ー共感と、ガチンコが対立概念だというような認識をするフロアの反応もあったが、そのような二項対立自体が筆者には理解できない。そもそも、なんで共感や受容が大事なのかと考えてみれば、それはセラピストのことを大切に思っているということを伝えるためである。行動はどのようであっても、相手が自分のことをわかってもらえた、自分にとってプラスになったとうけとってもらえるならば、それでいいのだ。「これは」と思う場面にでくわしたら、しっかり毅然と怒らなければならないと思う。それはセラピストも同じだ。

ただし、こういうのは怒るのは疲れる。共感や受容は(あくまでも運動量としては)楽だ。ガチンコはこれまで「直面化」「対決」といったような呼び方でこれまで議論されてきた。対決といわず、「ガチンコ」といい、あの番組の「これからどうなってしまうのか!!」というセリフを引用することでフロアの笑いを誘うといったように、セラピストにとってしんどい仕事を「プレイフル」に行おうという工夫はけっこうすごいと思う。

さて、午後、最後のセッションが私の出番であった。予想に反して、4−50名もの人がフロアに集まった。森岡先生の集客力はすごい。発表内容がもりだくさんだったし、時間的にも、発表時間がのびて十分に議論できなかったのが残念だった。まあ、臨床心理学をまじめに学問する土壌をつくるための第一歩は記せたのではないだろうかと思うが、まだまだ質的研究、や隣接科学の諸研究をあわせても、記述しきれないことが臨床場面にはたくさんあるということも痛感された。





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