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2004年08月17日(火) なんのことやら

ワーチの「マスタリー/アポロプリエーション」と、バフチンの「権威主義的な言葉/内的に説得力のある言葉」は対応している。

一方のワーチは、文化的道具への習熟(マスタリー)と、自己化(アポロプリエーション)を区別する。前者は単に、文化的な道具をとりこんで再生産することであり、後者は文化的な道具に自らのアクセントをすまわせて、自らのものとして使うことである。

他方、バフチンは「権威主義的な言葉」と「内的に説得力のある言葉」を区別する。「権威主義的な言葉」は、例えば法律や規則のように、それに100%同意することを人に求めるものである。「権威主義的言葉」は、スターリン体制のロシアにあって、思想弾圧され、ヴォロシーノフという弟子の名前をつかって出版せざるをえなかったバフチンのヒストリーと重ねあわせると、その強力さが実感されるだろう。一切の変奏曲はみとめられない。それに対して、「内的に説得力のある言葉」は、それを聞き手がとりいれて、かみくだき、自分なりのものに組み替えて使うことを許容する。


ミシェル・ド・セルトーが言うように、人はマスタリーだけを求められるような場所にあっても、その現実をずらし、為政者たちの思惑の裏をかいて、思わぬ抵抗の戦術をつくりだすものだ。それは、それ自身では自らの言葉をつくりだせるほどには自律的ではないが、内的に説得力のある言葉をつくりだすうえでは重要な契機となる。

ナラティブセラピーの言葉になおせば、こうした抵抗の戦術とは、クライエントのつくりだしたユニークな結果のようなものである。ユニークな結果は、それ自体では単なる「例外」にすぎない。しかし、その例外は、クライエントの薄っぺらに記述された人生を、再び分厚く記述しなおす契機となっているのだ。セラピストに求められるのは、ユニークな結果を強力なものにし、オルターナティブなストーリーをつくりあげ、それを評価的にみてくれる聴衆をあつめることだ。


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