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| 2004年08月03日(火) |
データをして語らしめる |
「データをして語らしめる」という言葉があるが、僕はあまり使いたくない。
データが語るわけがないじゃないか。データを使って語っているのは僕だ。
理系labのエスノメソドロジーをやっている人がいってることであるが、「物質」があるからといって科学的発見がされるわけではない。「物質」の存在を示す実験結果というのは、いつでも再現できるものではなく、かなり実験者の技術が高くないとねらった結果はでないという。また、結果も、どこをどう読んだらそういう結果になるのかが、はっきりわからない微妙なものが多く、その読み取りには熟練を要するという。
つまり、そこに物質があるということですら、その発見には、どこをどのようにみたらそう見えるのか、どの実験結果が失敗で、その実験結果が見るべきものなのかをちゃんと教える視点が必要だということになる。
心理学でも大なり小なり、研究者の役割にはそういう「見るべきポイントを指し示すこと」というところがあると思う。
もちろん、これはこちらが見たいものを見ているというのとは違う。
こちらがどう書こうと思っても、データと真摯に向き合えば、なかなか都合のよいデータはあらわれない。一度は良い顔をしてくれていても、2ー3年後、「あの時はそう言ったけど・・・・実は違ったんだ。君がうれしそうに、そうだろっていうからさあ、まあ良いかなって・・・」とバツの悪そうな顔をして(別にしなくてもいいのだが)言われることがある。
そこで研究者は頭をかかえ、「今まで私は君のことを、分かっているつもりでわかっていなかった」としょく罪し、データが良い顔するように自分の説を改めることができたら関係は続く。しかし、相手がそういうからといって主体性もなく説を改めるのもしゃくだから、なかなかそんなふうにはいかない。
それを世間で「データをして語らしめる」というなら、まだマシかもしれない。しかし、正確には「研究者とデータが、長い年月をかけて、協同して語る」といったほうが良いのじゃないだろうか。
この発見ができたのはどうしてですか?とインタビュアーに聞かれ、 「いやあ、データがこういったんですよ」と研究者が答え、 「君が先にそうじゃないか?って尋ねてきたから僕はそうだよって答えたんだよ」とデータが口をとんがらせて反論し、「おいおい、だって君だって本当のこといったんだろう?」と研究者が戸惑い顔でとりつくろい、データが「別に、嘘ついてるわけじゃないけど、なんか僕から言ったみたいにいうのって、ちょっと違うかなって思ってさ」・・・と続くような会話があってもよいではないか。
もちろん、どちらから言い出したなんてことは、実証論文の場合、あんまり読者は聞いてもおもしろくないし、別に書かなくてもよい(もちろん、そのことがきっかけでデータと仲が悪くなったら、研究者は真摯に対話しなければならないし、データと研究者の仲をとりもとうという人も、これを機にデータを奪おうとしている人も、どうしてそんなケンカになったのかを知らねばならない。そういう時には反省的研究も役にたつ)。
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