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2004年07月14日(水) Transparency

「透明性(Transparency)」という概念がある。例えば、パソコンにむかってSPSSを実行している学生は、そこでおこなわれる統計の計算式を理解しているわけではない。とにかく数字をうちこめば、結果がえられるということだけだ。このとき学生にとって計算式は透明になっている。

これはちょっとみるとこの学生が無能なように考えられる(そして、実際、計算式はしっておいたほうがよい)。自分がやっている計算の式もしらないなんて・・・。しかし、そのような面倒くさい手続きが透明になっているおかげで、彼は結果をつかっていろいろな仕事ができるともいえる。

まあ、それは今回どうでもよい。

透明性は「窓」にたとえられる。窓はなぜ見えるのだろうか?。透明だからというのでは不十分だ。全面がガラスばりの家だったらそれは窓ではない。窓は、窓ガラスをかこっている枠組みと、その他の不可視な領域があるからこそ窓という。

つまり、窓はなかが透明であることによって、かえってその外側がみえないということをハイライトし、外側がみえないことによって内側は透明であることをハイライトされているという関係にある。つまり「見える」は「見えない」を含意している。

ところで「見えない」と言うことは実はけっこうむずかしい。西阪先生が例にだすように、我々は学校にいってある先生が研究室にいなければ「○先生をみなかった」といえる。これは正しい言明だし、いっても不思議なことはない。しかし、「ウルトラマンをみなかった」とか「バルタン星人」をみなかったというのは正しいことであろうが、とっても奇妙な言明である。

「見えない」ということには、その場で何がみられるべきかという規範を前提としており、その規範はその場に参与する成員のあいだで交渉されているということが、このことにかかわっている。だから何かが「見えない」というとき、我々は見えること以外の全てのことを指ししめすのではなく、なぜほかでもなくかくかくしかじかのことが見えないと思うのかを考える必要があるということだ。


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