I create you to control me
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昨日、ひと仕事片したと思ったが、まだまだ仕事は終わっていないことに気づいてへこむ。東京にいったりしたいが、いつの日になることやら。
しかし、目標を設定しておくのはよいことなので、月末には遊びにいけるように頑張ろうと思う。
■■■ ■■■ ■■■ ところで、
イラクでの人質バッシングが一段落したと思ったら、今度は北朝鮮による拉致の被害者のバッシングである。
みんなしんどいことには関わりたくない。すぐに解決するならいいが、こういう問題はすぐに目にみえて解決しない。
スポーツチームのサポーターは、自分たちは平々凡々とした生活をしていても、彼らが活躍すれば束の間、自分まですごくなったように感じることができる。反対に、負けはじめればみじめになってくる。
そんな時、サポーターは選手や監督にブーイングをあびせ、適当な言い訳をつけてチームのサポーターをやめてしまう。「休日までみじめな思いしてスタジアムにいってたまるか」ということである。
被害者家族のインタビューを聞く人も同じだ。問題が解決すれば自分の気持ちまではれてくる。ああよかったと喜べる。しかし、現実の問題はそうそう簡単に解決しない。見ている側は、なんの役にもたてない自分たちの無力さを嘆き、問題の大きさにおしつぶされそうになってくる。そんなとき、人びとは、いつまでも騒ぎ続ける被害者の方を責めはじめる。「もう、僕たちをみじめな気持ちにしないでくれ」と憤る。
昔、後輩が犯罪被害者の家族会の語りについてやりたいというので、相談にのっていたことがあった。その時の話で印象に残っているのは、家族会の人たちが記者会見するときは、普段とはうってかわって冷静に、理路整然と話すというところだった。
Sacksの"doing being ordinaly"ではないが、被害者もまた「まともな判断能力をもち、感情におしつぶされることなく、自分のことは自分でできる」ということを人びととの関係でなしとげなければ、まともに話を聞いてもらえないのではないか、、、というようなことをそのとき思った。
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hideaki
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