徒然ハトニッキ
(映画編)

はとの不定期映画鑑賞日記。

2001年01月03日(水) ダンサー・イン・ザ・ダーク


監督・脚本 ラース・フォン・トリアー
出演 ビョーク/カトリーヌ・ドヌーブ/デビッド・モース/ピーター・ストーメア

舞浜イクスピアリAMCにて

21世紀の幕開けにこの映画。おもい・・・。
正月から全然めでたくないお話。
広告とかCMでは"感動の涙"とか言ってたじゃん。嘘つきー!
そりゃ泣いたよ。
だって"辛い"んだもん。
「もうヤメテ!!の涙」だよ。ありゃー。

三國連太郎が「俳優としてビョークにジェラシー感じる」って言ってたのは
頷ける。
ビヨークはセルマを「演じてる」でも「憑依」してるでもなく
「セルマそのもの」だったもんね。
それと「ドグマ」撮影法のせいでラストはドキュメンタリー観てるみたいで辛かった。
ミュージカルシーンとの落差もあるしね。

ちょっと脱線、先の三國の話で思い出したけど
少し前の演技派と言われる女優の間では
フェリーニの「道」でジュリエッタ・マシーナが演じたジェルソミーナが
憧れの役どころだったらしい。
セルマも次世代自称演技派女優のイコンになりそうな予感。

でもビョークの音楽ファンとしては、こんな形でビョークが
世間一般に認知されるのはちょっと気持ち悪い。
特に朝のワイドショーなんかで特集されちゃったりなんてするとねぇ。
なんだかねー・・・気持ち悪いっちゅーか、なんちゅーか。

観た後しばらくビョーク聴けないかもと思ってたけど
そんなことは無かった。
もともとのビョーク曲と劇中の曲では全然ベクトルが違う方向指してるからね。
だからか私が劇中で一番印象に残ってるのはオリジナルじゃなくて
スタンダード曲の「私のおきにいり」だな。
刑務所の中で歌うシーンは一番ビョークの歌手としての素が出てる気がする。
もうあの曲で「京都」は思い出さないなぁ。

デビット・モースもいいねぇ。いやらしい人間やらせたら天下一品だね。
外人が見たイヤミなアメリカ人のステレオタイプを見事に体現してたね。
私なんてこの人「いい人役」やってても嫌悪感じるもん。
でもトリヤーのアメリカに対する悪意が満ち満ちてる作品でもあるね。
そういう部分が素直に「名作」と言わしめないところでもある気がする。
物語的には凄く「粗」が目立つ作品みたい。
私はなんかビョークに圧倒されちゃって物語的粗さはあんまり気にならなかったけど、
人によってはその粗とあざとさが目について嫌な作品らしい。
トリヤーの前作「奇跡の海」の方がストレートな役者でストレートに撮ってるせいか私的には「嫌な作品」臭がした。
次回作の「イデオッツ」も相当な作品らしい。
観る前からゲンナリするような評論が飛び交ってんの。
トリヤーってなんとなく野島真司みたいだな。

ラストについては賛否にわかれてるようだね。
悲劇とみるかハッピーエンドととるかは観た人の質資が問われるみたい。
一緒に観た旦那は母子家庭で育ってるから母親が死んでしまうことに
怒ってた。かなり不愉快な物語だったらしい。
多分彼は息子の立場からラストを観てしまったんだね。

そんなバックグラウンドの無い平和に育ってきた自分は
普通に主人公に感情移入して観てたけど
そうすると悲劇のヒロインぶってる自分への
自己中心的な涙ってことだったのか?

っていうか未だにこんなに自分の中で煩悶させるような作品って初めてかも。
ホント嫌な映画。
観てない人は観た方がいいよ。
楽しいだけが映画じゃないっちゅーことだ。




   INDEX  NEXT


はと [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加