| 2009年05月17日(日) |
>>関西ブリパビの6年間 |
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先日の京都京劇ブリパビに遊びに来てくれた方、 どうも有難うございました。
終了の噂を聞きつけたお客さんでいっぱい(笑) もちろん、バッチシ盛り上がってくれて嬉しかったし、 自分のプレイもなかなか良かったんではないかと。
えーそんで、先にBBSでも書きましたが、京都京劇HUB、 大阪なんば戎橋HUBでのブリパビ終了、非常に残念です。
あと、京都1回、大阪2回ですね。 そんなワケで、最近のお客さんにはあまり知られていない、 歴史的な部分をここに記述しておきたいと思います。
大阪ブリパビは約6年間、 僕が加入してからも5年間続きました。
今ではちらほら見かけるキャッシュ・オン・デリバリーでの チャージ・フリー系のロック・イベントとして、 ブリパビは先駆け的な存在だったと思います。 2003年からスタートした難波戎橋HUBでのブリパビ。 僕が加入する前のDJは、ボスであるテリーさんを筆頭に、 青山さん、ジンさん、そして、東京から片平実さんや大沢睦生さんが 隔月交代くらい(?)で出演されていました。 そんな、どう考えても豪華すぎるメンツに僕が混ぜてもらえての 2004年2月だっけ?大阪ブリパビ2年目から加入。 DJは東京からのゲストが無くなる形での4人体制。 当時は僕が20時から21時過ぎまでDJして、 到着したテリーさんと交代。 22時にジンさんがDJして、その後青山さんのDJ、 23時10分くらいに僕が少しDJして、 最後はテリーさんが〆てました。 22時からのソニー提供の豪華プレゼント抽選会と テリーさんの楽しいMCでみんな盛り上がりまくってたなぁ。 その後、ジンさんが抜けて、青山さんが隔月DJに移行。 新しいDJが入るも一瞬で辞めて、 その後にSHINが入ったんじゃないかな・・・確か。 この辺りが2005年かな・・・記憶が曖昧やけど。 この辺りになって徐々にテリーさん&青山さんが来れなくなってきて、 僕主導に移行。この頃からウチのKOUNOも加入の3人体制。 プレゼント・グッズも昔に比べれば少なくなったけど、 毎月プレゼント・タイムを設けて、 僕の決して上手くならないMCとともに、盛り上げました(笑) この辺りが2006年かな・・・たぶん。 2007年になると、プレゼントの配給が困難になりだして、 プレゼント・タイムも終了に。 それに伴って集客も少しダウン↓ ここにきてテリーさんが創った貯金的なモノが全部吹っ飛んだな、と。 結構ヤバイな、と。 2007年にSHINが休止。代わりにYANAGIが加入。 彼が車を出してくれるというので、僕が昔からHUBで実現したかった、 グルーバーで現在も使ってるDVJセットを持ち込んでの PV/LIVE音源プレイ。 内容的には素晴らしいモノだったし、 実際にお客さんの満足度も高かったみたいですが、 思ってる程の集客UPにはつながらなかったかな・・・ 2008年にYANAGI+KOUNOが脱退。代わりにSHINが復帰。 DJは僕とSHINの2人で、従来のアナログ・オンリーのスタイルに。 この頃が一番キツかったなー、色んな意味で。 その半年後にWATTANが加入。 新たな風が吹き込まれて、お客さんのリンクも↑ 2009年に入っても、その勢いのまま順風満帆だったのだが・・・
そして、話は京都ブリパビへ。
京都京劇ブリパビは、それまで難波戎橋HUBに勤めていた 音楽・パーティ好きな異端児店長が、そこに転勤になったため、 じゃあいっちょココでも始めようか! というコトでスタート。 しかもダンスフロアを設けてのオールナイト企画という、 これまでのHUBでのブリパビの中でも新しい試み。 何といっても、全国のHUBの中で最もイベント向けな吹き抜け天井の 開放感溢れる路面店である京都京劇店で、 なおかつ、関西で最高峰のクオリティーを誇る、 僕と田中亮太のDJをチャージ・フリーで朝までたっぷり楽しめるという、 お得感いっぱいの一夜。 スタート時の2006年7月のみSHINSUKEさんのサポートも頂きましたが、 その後はずっと2人で朝まで。 これが大変なんだけど、非常のやりがいのあるDJで、 空気を読む、現場適応力が格段にUPしたね。 当時は僕らのDJを観に来たお客さん、というよりは 「ただ、その日にHUBで飲んでた」というようなお客さんがほとんどで、 そういう、いわゆる一般の方を盛り上げるのは非常に難しいけど、 一度ハマると、「京都のお客さんはなんて野蛮なんだ!」 っちゅーくらい暴れまくりの盛り上がりまくり。 もうね、普通じゃないんですよ。休むとか知らないんですよね。 強烈だったなぁ・・・それも結構、思いもよらない曲で、 50%だったフロアが一気に150%まで上がったり! アホほど盛り上がってるフロアを見ながら、 ブース内で「なんで?」「読めんわ〜」「ヤンチャすぎる」「ありえん」 とか、亮太クンと話していたのを思い出す。 それでも一年目は、いつもフロアが盛り上がってるワケじゃなくて、 こう如何にしてフロアに火をつけるかが、毎月の課題で、かつ 最難関事項でもあったんですね。 火をつけるのも毎月僕だったり亮太クンだったりとバラバラで、 どっから火がつき始めるのかも凄く興味があったね。 まぁ大体、亮太クンが火をつけてくれて、 その後、僕が美味しいトコ持ってってたような気もするけど(笑)
一度3:00くらいまでガラガラで、全くダメな月があって、 さすがにこの日はスパークせずに終わるかな・・・と思いきや、 ボーン・スリッピーで一気にフロア200%に! それから先はヒット曲を温存してたってのもあって、 朝まで大スパークしたっていう凄い夜もあったなぁ。
しかし、亮太クンがクラスヌ出張で休む日が続出したため、 2007年の後半から横地が加入。 明和クンにも良くヘルプして頂きました。 店長が代わって少し雰囲気が変わったモノの、 この頃にはDJ目当てのお客さんが増えたのもあって、 毎月、楽しく盛り上がれました。 ただ、やっぱり冬は毎年キツかったなぁ。 2008年はそれまでで一番しっかり盛り上がった一年。 特にサッカー終わりだった6月と 西村道男クンが飛び入りDJした10月は大入り。 暮れには店長が代わったり、 毎年辛い冬が訪れたりして暗雲立ち込めましたが・・・。 2009年も2〜3月は結構キツかったね。 イベントごとになれない店長も手伝ってか、 プロモーションも弱く、お客さんも離れ勝ち。ピンチ! でも4月に持ち直して、5月も良かったんじゃないかな? ただ、暴れすぎでグラスがあんなに割れたのはビックリしたけど・・・。
そんな感じで6月、京都と大阪はラストです。 んまぁ、なんというか、亮太クンと一緒にやるDJは、 問答無用に楽しいから、これから当分一緒にやれなくなるのは 非常に残念で仕方が無いね。 二人で創りだす一晩・・・ 昔は「ロックDJでもロングプレイを・・・!」 ってのが信条だったし、そうしてきたんだけど、 ここ数年で、僕の一回のプレイ尺が減ったと思いませんか? これはね、一人で60分で流れを創るよりも、 二人で30分+30分で同じくらい良い流れを創る方が、 DJとしての満足度が高いんですよ。”チームとして”みたいな。 バンドじゃないけど、そこにケミストリーを感じるんです。 もちろん、それの究極はBACK to BACKなんだけど、 それを一晩通して完璧にやるのは不可能に近いんで、 そういう意味で適度な時間が30分ずつなんだよね。 んまぁ、亮太クンには田中宗一郎という、 現役最高レベルのロックDJといつもやってるから、 そういう環境に飢えてるワケじゃないだろうけど、 僕の場合は、KOUNOはまだまだソコにはたどり着いては いないと思うし、KOUNOにはもっと頑張って欲しいねー。 彼には伸びシロはいっぱいあるので。 あまり過去を振り返っちゃダメなのはわかってるけど、 SEO+YAMASHITA+SAKAMOTO+SAKAKIの4人は、 絶妙なバランスで一晩を創っていたと思う・・・。 いや、過去は美化されるだけかも、しれないんだけど。
ただ、もっともっと満足したい!と思うのは当然なワケで、 その気持ちが無くなったら、やってもしょうがないしね。
その充実感を求めて日々頑張るだけなのです。 というワケで、関西ブリパビは、あとラスト3回。 フィナーレです。是非、遊びに来て下さい!!
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