DJ SEO's DIARY

2008年11月09日(日) >>歪み。

僕の大好きなクラブは歪んでいる。



これは、実際には僕がクラブで遊び始めた頃よりも前から、
着実に進んでいた変化ではあるが、
この10年で一層に進んでしまったとも思う。


「普通でない人」を満足させる為に
アンダーグラウンドに存在したクラブは、
「普通の人」に日々着実に侵略されている。


「普通の人」を根本的にささえるものは「常識」である。

(注*ここで言う「常識」という表現は日本国内で、
犯罪にまつわる物事とは一切無関係で、
いわばもっと感覚的な一般共通思考基準を指す)

それにズレを感じる人・・・
「普通でない人」を集める場所がクラブであった。


日本人の「常識」に対する律儀さが、
世界的にも極めて突出していることは、
少しでも外国人と関わりを持ったことがある人なら、ご存知だと思う。


もともとは、アメリカやイギリスの雰囲気に
影響を受けて作られたのがクラブである。
そこには、日本人の「常識」とはズレを感じるような、
もっとアバウトでアンダーグラウンドな独自のカルチャーが存在した。

そんな感覚に惹かれた人たち・・・
かつては各地にマイノリティに存在した「普通でない人」を
クラブという場に集結させることによって、
そこには面白いパワーがあり、様々なムーブメントが発生した。


しかし、現在はそんなクラブにおいても「普通の人」が多く存在し、
そこでは一般社会同様、「常識」によって支配されている。

昔はクラブじゃそんなに見かけなかったのにな、「普通の人」。
なんで最近はよく目にするようになったのだろうか?


答えは簡単。



「普通の人」がクラブで遊ぶようになったのは、
「普通の人」がたくさんクラブにいるからである。



それゆえに・・・
「普通でない人」はクラブにおいても
マイノリティな存在になってしまった。


「普通の人」は自分が普通であるのを逆手にとって、
SNSを通じて手と手を取り合い、勢力を拡大させ、自己を満足させる。

「普通の人」の満足とは何か?
共有感であり、安心感であり、結束感だ。
仲間ハズレにされることを、異常に嫌う。
他者と意見を刷り合わせて、迎合する。
個性がないゆえに、一人では自己を保てない。



その昔・・・
「普通でない人」が「普通でない人」を相手にDJするのは、
そういう意味では簡単だった。ズレこそALL OKだったからだ。

それが自分の価値観の中で、YESであれ、NOであれ、
ズレこそが、マイノリティにおける共有感であった。



そして・・・
「普通でない人」が「普通の人」を相手にDJするのは、
そういう意味では困難だった。ズレは許されないからだ。

「普通の人」は常に安心していたいから、
周りにも「普通の人」がわらわら、わらわら。
ズレの中に身を置くことは、極度のストレスになるのである。



そして、いつの間にか・・・
「普通の人」が「普通の人」を相手にDJする時代が訪れた。

音楽知識というのは薄ければ薄いほど、
選曲が最大公約数に近づくので、そういう意味では
GREAT D.J.といっても過言ではない。

そして、いつの間にか・・・
クラブは「常識」によって支配され、普通な存在になってしまった。
アンダーグランドなパワーは日々減衰している・・・。



「普通でない人」が求めてたものは、もうここには無い。



クラブが「普通の人」を相手に商売し始めたときこそが、
クラブが”本質的なディスコ”になってしまった始まりだと思う。

別に「普通の人」はクラブに来なくても、
他でいくらでも遊び場はあるのに。
そこに音楽があろうと、なかろうと。

実際、20年前に「普通の人」はそれに気付き、ディスコは破綻した。
そして、クラブは「普通でない人」に支えられて勢いに乗った。
もちろん、そこにはアンダーグラウンドなカルチャーと、
(真の意味での)音楽があった。



今、現在、ここに音楽はあるのか?
まともに音楽の話をできる仲間も随分少なくなった気がする。



しかし、「普通の人」に遊んでもらって、満足してもらわないと、
どんなクラブでもイベントでも破綻してしまうのが、現状なのだ。
単に名前を変えただけで、これは(あくまで)ディスコなのだ。



僕の大好きなクラブは歪んでいる。



ずっと自分は「普通の人」だと思っていたが、
どうやらそういうワケではないらしい・・・

いや、厳密に言うと、
「普通でない人」に共感を抱く「普通の人」が僕なのだ。



とどのつまりは、所詮、自業自得であり、
「同じ穴のムジナ」というやつなのだ。残念!



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