DJ SEO's DIARY

2006年03月28日(火) >>LASTDAYS

期待して観に行きましたが、あまりのショボさにがっかり。
あ〜だから、海外でもそんなに話題にならなかったんだろうか?


とにかく、初めの原人野人としか言いようの無い”川プール”は、
いきなり見る側を突き飛ばす挨拶代わりであったとしても、
なんか、ちょっと違うんちゃいますか〜?

カートはとても滑稽なジャンキーみたいな扱いで、
セリフの90%以上が独り言。
しかもそれが言葉になってない感じで・・・。

たま〜にちょっと喋ったとしても、
話がほとんど噛み合わない。
あぁ・・ウチの某スタッフみたいに(汗)

(何の役だったのか?)キム・ゴードンの忠告も全く無視。
そして、すぐに鬱状態に入って・・・倒れる。
その繰り返し。

その繰り返しのさなかに自殺するのだが、
この”誰にも止められない感”は、確かに上手く出ていたかな・・・。


でも、ボーイズ�競瓮鵑�1曲まるごとテレビで流すのを
放置するカートには?なのだが、これは何だ?
最終局面には”こういう音”も受け入れる価値観が存在した、
という確かな裏づけが存在するのか?

それはまぁよくわからないのだが、
ニルヴァーナの楽曲が使えない中、
作中でカートが演奏する曲は、やっぱりカートらしくなかったってのが
映画のリアリティーを大きく失わせた。
かなりソニック・ユースだろってのはまだ良かったけど、
ラストらへんのアコギの弾き語りは、ちょっと違う感じがしたな。
んまぁ、仕方ないけど。


んまぁ、それにしても大きく肩透かしをされた感じ。
”最期の2日間を追想する”と書かれていたが、
決して重要な場面は全くなく
(それがたとえ監督/脚本個人の片寄った主観だったとしてもね)
”事なかれ主義”を突き通した感じ。

日本人的な感性だと、この当り障りの無さを”当たり前”の事だと
思いそうだが、今までのリリースされたニルヴァーナの
ドキュメンタリーとかと比べても、もうちょっと冒険しても
良かったかな〜と思ったり。

だから、トコトン曖昧にしたんじゃないかな?
監督/脚本のカートに対する
パブリック・イメージがそのまま出た?

インタビューでも言ってたけど、
カートに会ったのは1回だけだそうだ。
その彼の思うカートは、これっすか?
どこか、深い意図があるのか?





これはカートが全く望むはずのない(と僕は思う)、
”偶像化の権化”のような作品だ。
そして、その死をとても美化してるような感触すらある。

キムが出演を受けたくらいだから、
何かあるとは思ったけども。彼女はただ時代の当事者としての
使命を果たしたようにしか見えなかったな・・。



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