DJ SEO's DIARY

2004年04月05日(月) >>10年間。

カート・コバーンがショットガンで自殺した”あの日”から10年たった。


10年前のこの衝撃的な出来事は、その後、
僕の中の”ロック”というものに魂が宿るキッカケとなった。


なんか色々なことが思い出される・・・。


当時高校入学したばっかりだった僕は、たまたまつけていたBSのニュースで
この悲報を聞いた。でもその瞬間は何かあまりピンと来なかった。
確かにショッキングではあったが、その程度では所詮ニュースで誰かが
亡くなったくらいにしか思っていなかったと言っても、
決して過言ではないからだ。

そう、その日の夜は至って普通に過ぎていったのだ。


翌日、学校に通学する時も全く変わりはなかった。
何か他のことを考えていたのだろう。

しかし、何か変な違和感を覚えたのは学校についてからだった。
・・・それは、誰もこの事を話題にするやつがいなかったからだ。


「普通の出来事なら、そのまま忘れさられてしまうのだろうな・・」


そう思ったときから、僕のロックン・ロールの扉は開いた。

彼の”ロック”とは何かを知りたかったんだ・・・。
彼は”この世界”に何を言いたかったのかを知りたかったんだ・・・。


今、僕の机の下には当時のロッキング・オンが転がっている。

これだけが頼りだったのを覚えている・・。
現代のようにインターネットも普及していない当時、
僕が頼れる情報源といったら、ロック雑誌しかなかったから・・・。

満足な情報が得られたのは結局2ヶ月くらい後だった。
実際、アメリカ人ですら正確な情報は得られていなかったのだ。
それがこんな海の向こう側にまで、来る訳がなかろう。

あの頃に僕の中でうごめいていたあの夢想感、虚脱感、矛盾感・・・。
これがロックの”リアリティ”なのか?正直よくわからなかった。

今まで雑誌や人づてでしか聞いたことがなかった、ジョン・レノンや
ジミヘン・・・日本では尾崎豊・・・の死。
これらと同等のことが今まさに起こっているのかっ・・・?


そして、彼らと同じようにカート・コバーン(ニルヴァーナ)は伝説となった。

彼らの音楽のみならず、精神性、アティチュ−ド、ファッション・・・その全てが。

ニルヴァーナの事実上の解散がグランジ/オルタナのメイン・ストリーム
での終焉を告げ、スマパン大作”メロンコリー”で完全にその幕を閉じた。


その後もニルヴァーナの遺産は絶大だった。
90年代を象徴するあのディストーション全開のサウンドは、
グリーン・ディやコーン、ウィ−ザーなどのみならず、
オアシスやレディオヘッドらUK勢にも多大な影響を与えた。

彼らは嫌がるだろうが、
ニルヴァーナは90年代のロックの教本的な存在である。


そして10年後の現在のシーン・・・。
みんなは気づいているだろうか?この微妙な変化を。

音楽とは実にオモシロイもので、ここ数年で微妙ながらもじわじわとした
大きな変化が訪れつつある・・。


ニルヴァーナの影響力が弱くなりつつあるのだ。


その理由としては、一つはへヴィ・ロック・シーンの衰退がある。
もはや売れると断言できるバンドはリンキンパークとメタリカ、そして
エヴァネッセンス・・・ぐらいといったところか。

そしてもう一つは、数年前に登場したストロークスの存在が大きい。
あのバンドの登場でシーンの機軸が大きく変わった。

あのスカスカの音数少ないシンプルなサウンドがちょうど
ニューウェーヴ・リヴァイバル(80’S)な周りのバンドたちの動きと
リンクして、新しいバンドが数多くシーンに踊り出た。


ニルヴァーナ(90’s)を通り越して、時代は80’sを求めた。


今、FRANZ FERDINANDがUKで大ブレイク中だ。
そしてKILLERSも、個人的にはKASABIANと並ぶくらいの
一押しの新人だ。

そうそろそろいいじゃないか、ニルヴァーナから解放されて。
今はいいよ、こんなチャートの方が。
アース・ウインド・アンド・ファイアくらいのバンドが出てきても
オモシロイんだけどね〜。


だって、もう見えてるんだから。
・・・80’sの次は90’sに決まってるじゃねーか。

服にしても音楽にしても、こういう世界は30代によって支えられてる
んだから。イヤでもその世界に従事しているヤツの趣味趣向が反映される
んじゃない?それは自分ですら気づかない程度のバックボーンかも
しれないけども。


”X世代”が動き出す日は近い。
もう既に動きはあるが(アメリカでオルタナ・ラジオ局が出来たりとか)
・・んまあ、日本にいるかはしらないけどねー(笑)


今月のGROOVERはそんな思いも込めつつやろう。
あの素晴らしかった時代に愛を込めて。



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