DJ SEO's DIARY

2003年09月09日(火) >>なぜ日本において洋楽ロックは低迷してるのか!?

何故、日本において洋楽ロックがピンチなんだろうか?


もう、こんな風に言われ始めて4〜5年経とうとしている。
「いつか盛り返すんじゃねーの?」とは常に思ってはいるし、
そうしなきゃ人生やってけないんだが、やはり
「俺のロックン・ロールは一体どーなっちまったんだ!?」
ともずーっと思ってる。


一体ナニがいけないんだろう?


シーンのカリスマがいないからなんだろうか?
そこに伝説がないからなんだろうか?


たしかにそうだ。


が、果たして実際にそう決め付けていいんだろうか?
僕にはもっと大きなシーンの、ものすごい悪循環によって
現在のシーンが作られてしまっているようにも思う。


話はすこしそれてしまうが・・・
音楽とファッションは切り離せない関係にあることは説明いらないだろう。
MODSやヒッピー、パンク、グランジ、ハードコア・・・
どれも密接にリンクしている・・・。

自分のことを棚にあげといて言うが、
オシャレを全く意識してない音楽好きや、
音楽を全く意識していないオシャレさん
からは、そーゆー意味で全く説得力に欠けると思う。

だが、ここで僕が言いたいのは
「音楽とファッションがリンクしないからいけない」
なんてことじゃない。

もっと広い意味で僕は言いたい。
”世界レヴェルでの消費文化の飽和状態”
といえば、何となくわかるだろうか?

わかりやすく、ファッション・シーンで説明すると・・・
最近、”みんなそろって同じ格好しなくなった”ような気がする。
ってことだ。

もちろん、例外はある。
今でも堀江に行けば、輪投げをしてやりたいくらいの
麦藁帽子をかぶった少年少女を目にもする。
あれは間違いなく流行りだが・・・

それでも以前にくらべたら、みんなそれぞれ服を選んで着ている
ような気はする。
90年代からの渋カジ〜アメカジ〜スケーター〜裏原宿〜
モード・アヴァンギャルド〜カジカジ系古着(笑)
・・・などに比べれば。

現在はそれらの流行を通り越して、人それぞれが好きな格好を
している。それは色んな情報を簡単に集められるように、
社会が変わってきたからだ。

こんな世の中になったら、みんなオシャレになるのになぁ・・・とか
雑誌の編集者みたいな人は言ってたんだけども、これは逆に店側
(売る立場)からすると、実は素直に喜べなかったりもする・・。

平たく言うと・・・
「ナニが売れるかわからない」からだ。

ビルケンシュトックや、クラークス、オーバーオール、グッドイナフ
柄物シャツ・・・・確かに今年も流行りのアイテムもあるが、
やはりスタッフやってる人からすると「やりにくい」そうだ。

・・・そりゃそうだ。
「今期の売上はこれ入れとけば安心♪」なんてのがないんだから。


それはそのまま音楽業界にも言い換えれる。
・・というか音楽業界の方が実際の話”顕著”だろう。


もうどんなジャンルでも気にしないで聴くからだ。


今現在、パンクやグランジ、ブリットポップなどのバーン!!とした
ムーブメントがこないのは、まさしくこの理由からだろう。

ロックというジャンルは、その時代その時代に他ジャンルからある要素を
吸収(あるいは乗っ取り)して、クロスオーバーしながら生存しつづける
害虫のようなジャンルだ。そのおかげで若いリスナーは他ジャンルへの
抵抗(時には偏見)がなくなり、更にいい音を求めるようになる。

ってなると、当然聴くジャンルが広がるから買うCDもバラエティに
富んだ内容になってくるだろう。現在は情報も細かく入手できるから、
インディーもインディーでなくなってきてるから、さらに購入幅が広がる。

・・となると。
”みんなが絶対に買うアルバム”ってのが、
やっぱり少なくなってしまうんだよな。

だから、カリスマが生まれにくい。
そして新人バンドが生き残りにくい。


一般的には「日本のバンドの質が向上したから」とも良く言われる。
これはごもっともだ。だが、僕個人的にはこういう流れの盛り上げ方
(スヌーザー誌などが顕著だが・・)には、正直危機感を覚える。


この話を掘り下げると、
「UKロック⇔J−ROCKの流れってどーなん?」
という話になってくる。

この流れの人は正にこれからなんだけど、この渦中にいるであろう
「くるり」の岸田氏が「D.C.!!」言うても、ハードコアの話
されても・・・って感じなんだろうね。


実際に僕が言いたいのは正にここ。
ここに日本の洋楽ロック不況の理由がしっかりとあるような気がする。


60年代くらいからずーっとそうなんだけど、
海外アーティストの日本へのシングルの切り方って違うよね。
ちょっと前だとWEEZERのフォトグラフ(日本)と
ハッシュパイプ(海外)、最近ではBLURのクレイジービート(日本)
アウト・オブ・タイム(海外)だとか。

これは、日本人が明らかに”POPS思考”であることを示している。

確かに言語が通じないからメロディ勝負になるし、POPであることに
越したことはないんだが・・・。


でも僕からしたら、”J−POP”の延長線上にしか思えないんだわ。
そーゆー聴き方って。
んで”UKロック好き”にはそういう人もいささか含まれているんじゃ
ないんかなーとも思ってしまう。


”ロックの持つダイナミズム”に心打たれる衝撃を味わってるか?


僕はレッド・ツェッペリンのLIVEを聴いて、ちびりそうになった。
なんかやっぱり違う。でも信じて欲しい。
この素晴らしさは彼らが伝説になってるからじゃない。
今でも余裕ですごいのだ。ニルヴァ―ナだってそうだ。
死んだから伝説になったのは事実だが、あんなLIVEをやれる
ギターバンドはどんだけ贔屓目に言っても、現在いない。

あいつらはロックン・ロールが持つ何かを持っているんだ。


何故、今のバンドにはそれがないのだ!?

それは、新しい音を突き詰めようとしないからだ。
必ず何かが”お手本”であるからだ。
いや、もちろん今までの素晴らしいバンドにもお手本がある。
オアシスのノエルは、
「俺の曲は、30曲くらいの曲の中からいいところだけを
チョイスして作ってるだけだ」とも言っている。
だが彼らの音は絶対的な”何か”を持っている(た。)


ニルヴァ―ナだってだ。彼らの音楽からはピクシーズ、ソニックユース
メルヴィンズ・・・をはじめ、多彩なバンドからの影響が伺えるが、
彼らの音は実際に影響を受けたバンドの音を、はるかに凌駕している。

僕はそこから、カートの凄まじく大きいリスペクト愛を感じる。
自分にだけの何かが見えているからだ。
それを支えるのは、なんだ?
なぜ精神的な意味での”パンク”が重要なんだ?


ハードコアに。オルタネイティヴに。
やはりここなんだよな。いい音楽作るには。


メロディック・ハードコアを新解釈で聴け。
ランシド新譜で嬉しくなって、オペレーションIVYを聴け。
D.I.Y.!!!


追伸:マイケル兄貴元気すか?
僕はそっこう”THE BEATNIGS”買いました。
音の内容にぼーぜんとしつつ、ブックレットの厚さに感動しました。
サインください(笑)

・・・んで誰か訳してください(汗)。 



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