DJ SEO's DIARY

2002年07月11日(木) >>僕の音楽人生(1)

自分が「ロック」を聴きはじめてもう10年が過ぎた。
ここで、自分の歴史を簡単にまとめてみた。

―――――――――――――――――――――――――――――――

僕が音楽を好きになったのは、小学校3、4年のときに初めて買った
プリンセス・プリンセスの「世界で一番熱い夏」だった。

今でも好きです。
んで「ダイヤモンド」買って・・・とにかく夢中でした(笑)
小6年のときに「ドリカム」の超名盤2NDを親父が買ってきて
たちまちトリコに・・・それから中3まで(正確には5THまで)は、とにかくハマッた。
「ドリカム」は今でも鼻歌レパートリーの中にしっかり食い込んでるし、
彼女にしたい人の条件には「ドリカムが歌える人」とまでなっています(笑)

んでその頃に、B'Zが出てきてデビューと同時に大ブレイク。
それがナゼか気に入らなかった僕は、いとこの兄ちゃんが
「B'Zはこいつらをパクってるんだ」のすすめで、AEROSMITHの”PUMP"を借りる。
初めて聴いた洋楽が(たしか・・)コレだった。

当時はほどほどに「かっこいいなあ」と思っていた。
だがそれよりも先に夢中になったのが、「ボン・ジョビ」だった・・。
中1の時はよく聴いたもんだ。

ちなみに中学時代は、バスケットに熱を入れていたのもあって
大変活発な少年ではあったが、ロックの話は全くしなかった。
音楽話といえば、そのころ好きだった「初期ミスチル」と「槙原則之」、
そして「ドリカム」ぐらいだった。


肝心の僕の人生を変えるレコードとなった「ニルヴァ―ナ」との出会いは、
ちょうど中1の冬の実力テストが終わった1月末・・・。
テストが終わったので、何かいいCDを・・・と思い求めて
今は無き中古(新品もある)CDショップ”4343”に足を運ぶ。
CDを物色して店内を徘徊していた僕は、あるところで立ち止まった。


そこには、1つのCDが6面を使って展開されていた。
そこには、”水中で赤ん坊が泳いでいる”CDが並べられていた。
そこには、「今までの価値観を全部ひっくり返す音あり!!」とポップが
貼られていた。


何かに引き付けられたかのように、僕はそこに書かれている10行ほどの
細かい販促文を読んでいた。

その時、そこのバイトだと思われる20歳そこそこの兄ちゃんが声を
かけて来た。

「ニルヴァ―ナって知ってるかぁ?」

僕は「い、いや・・今見たとこです・・。」と、かなりビビリながら返す。

「自分、どんなん好きなん?」って聞かれたので、僕は

「あ、ボン・ジョビとか、あーゆーカンジのやつです・・。」と返すと、

「あ〜ダメダメ!そんなんダサいって!も〜時代は変わったんだ。
まだ自分はコドモだからなあ、わからんとは思うけどな?
これからはこれが流行るんだって!」

と、まくし立てられた僕には反論するだけの音楽知識も当然なく、
「そこまで言われちゃあ・・・」というカンジで購入した。

そして、家に帰ってすぐに聴いた。
何か(他とは)ちがうカンジがした。
が、10枚も洋楽CDを持っていなかった当時の僕には
その意味など全くわかっていなかったのが、正直なところだ。

実際、最初に好きになった「ネヴァーマインド」ナンバーは
「リチウム」と「ポーリー」で、うるさい音は当時はまだ馴染め無かった。

伝説の1992年2月。
僕は家でずっと「ニルヴァ―ナ」を聴いていた。
来日している事など、全く気づかずに・・・。

4月ごろになると、もう僕は「ニルヴァ―ナ」の1ファンになっていた。
雑誌のインタヴューなども、しきりに読むようになり完全にハマリ出した。
そしてその時、2月に来日公演が行われていたことも知った。
かなり残念だった記憶はあるが、ライブどころか、コンサートすら行ったこと
がない僕には、正直まだ恐かった。

しかも、「好きなアーティストがいる」→「じゃあ、ライブを見なきゃ!」
という思考の流れなど、当然のごとく存在しなかった。
(↑こんな考え方になるのは、大学に入ってからだ。)



そういえば・・・、あの兄ちゃんが言ってたな。

「僕は今度ライブに行くしね。」って・・・。


数日後、僕はニルヴァ―ナを教えてもらったお礼とライブの感想を
聴きに”4343”まで行ったが、もうその時には彼はいなかった・・・。



 << BACK