非日記
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| 2007年11月01日(木) |
今年もこの時期がやってきました。 |
反省月。一年間の自分のダメさを反省する月です。反省だけしてます。反省なら十二月にすれば良さそうなものだが、同人活動?というか更新?というか屋内活動?に関する一年の区切りが、なんとなく11月5日になっているのです。この11月5日が差し迫ってくると、先の「もう十一月じゃないの!」から、またもや一年間が安々と経ってしまった事に気がつくのでした。 今突然思い出したが、今年の十月の誕生日の人にお祝いメールを送ったであろうか。絶対に送ってない気がする。今年は九月の末から先月まで忙しなく比較して活動的に生きていて、一息ついて気がついたら今だった。 …あたし、負けたのね、時の流れに。 あー畜生悔しいなあ。 切ないので過去に向かって言っておこう。おたんじょうびおめでとーう。
ところでここンヶ月、元から動作が怪しかったPCのキーボードがますます怪しくなりました。十回に付き一回ぐらいしか作動しません。 やはり千円台がいけなかったのか。 聞いた事も無いようなメーカーだったが、その上に、メーカーでも生産が終了しサポートも終了しているので今更どうする事もできない。時々思い立ってはコントロールパネルを弄ったりデバイス接続しなおしたりし、一瞬繋がったら安心して放置、翌日にはまた反応が無くなり頭を痛めるというその日暮らしを延々続けています。 うん、先月の二十三日は久しぶりに繋がった日だったんだよね。そんで慌てて日記を書いてみたが、その前に遅ればせながら誕生日おめでとうと打っておくべきだったか。いただいてたメールに返信もやっと先日やりました。
マウスは動くのでただサイトを遊覧するだけなら別に問題ないんだが、キーボード無反応で何が困るといったら、検索ができない事とパスワードも打ち込めないのでログインできない事ですよ。どこかに五十音とアルファベットと数字を全角と半角でコピーしておくべきだ…と、毎度思いながら何もしてない。 もういい加減買い換えるべきだろう…と、誕生日を突きつけるメールを送信し忘れた事を思い出した今思いました。意識して覚えてさえいれば携帯のメールでも良かったのに! う、だって最初のキーボードが思ったより早く壊れたので、つい頑張りたくなってしまったのよ。
そういう具合で先月はろくに日記が書けなかった。忘れないうちに書こう書こうと思いながら書けなかった為に、何書くつもりだったか忘れた。
あれはもう九月の頃だったように思う。 地震の際に「コンロの火は消さなくていいから逃げろ」という方向に国の方針が変わったのは。この「地震の際にはとにかくまず火を消せ」というのは、昔から延々と続いてきた「身命を捨てても周囲に迷惑をかけるな。大惨事の原因になるぐらいなら死んだ方がマシだ」ぐらいの平凡な日本人の意気込みから派生していたのだと思うの。だって明らかに地震の際に火を消そうなんて無謀だろ。危険な行為である事は実例が伴うまでもなく明々白々だったと思うのです。なのに何故それが延々と言い伝えられてきたのかと言えば、この間高速バス車中で後ろの老女達が言っていた「うちは確かに借金だらけで、うだつの上がらない家だった。でも!うちは人様に顔向けできないような事は、万に一つもやっておりません。それだけはやっておりません。それが誇りでございます」みたいな身上がそこにあったものと思われるのよ。 この「身を顧みず火を消しに走れ」というのは、きっと放火はまず死罪で、延焼を防ぐ為に隣近所の家はぶち壊すのが当然で、消火活動のメインは隣家の破壊だった江戸時代あたりからじゃないか…と私は睨んでいたんだけど。 それがついに、公的に「自分の命と体を守る事だけ考えろ。とりあえず後の事は構うな」になったのよ。
この時代の空気の変化、凄いと思わない?!
てゆうかね、皆それはわかっていたと思う。火を消しに行くのは難しいとか、火を消しに行ったら危ないとか。だっててんぷらでも作っててぐらんなさいよ。鍋の前に立っていようとも、ぐらぐらガタガタとコンロも鍋も揺れていつひっくり返るかわからず、熱せられた油もいつ降りかかるかわからない危険極まりない鍋の直ぐ下に手を伸ばせというのよ。火中に手を突っ込んで、体の焼ける激痛に耐えながら意志の力で克服し、そこで冷静に何かをなしとげろってのよ?もう「やむをえん!体表数パーセントは捨てる!」覚悟だよね。それだけの覚悟で火を消しに行くのよ? ここはてんぷら油がぶちまけられ、それに引火して一気に燃え上がる事を考えて、もう家と地域は捨てて(比較的大きな地震の際にいつもどおりに消防車が来られるとは限らない)飛びのかねばならんよな。頭から油を被ってそれに引火したらオシマイだよ。
ただ、世間で漠然と思われ個人の基準で判断していたところが、「防災の心得」として訂正された事に神妙な気持ちになった。 一つは、「我が身に構わず火を消しに走る(そして怪我を負ったり亡くなった)」人が現にいたって事だろ。それから「理由はどうあれ、そのように行動することは愚かだ」と判断される時代になったって事だろ。あげく、実際に「こうすべき。こうしろ」と上から(公の情報として)宣言されなければ、大半の人は自分で判断をしない、また「こうしろという事になっていたのでこうしたという結果なのだから、こうしろと言ったやつのせいだ」と訴えられる確率が上がったという事じゃないのかしら。大地震があって火を消そうとして焼死したり逃げ遅れた人がいたら、「公的に地震時にはこのようにすべきだと指導すべきで、それは以前から明らかだったのに、事ココに至るまで何らの手も打たなかったとは怠慢でしかなく、人の身命を軽んじている」と非難追求される事を想定しているんだなーと思ったのです。 違うのかな。
でもこういう安全の類は、案外勝手に信じてたりする。 IHのコンロとか。私はあれは火事にならないものだと思ってた。だから親が年老いたら普通のガスコンロじゃなくて、ああいうのにしろと推奨するつもりだったんだが、しかしよく考えてみると電気ストーブだって火事になるわけだものな。鍋の下に火が見えないから、かえってつけてるかどうか忘れてしまいそうでもある。「火事にはなります」と書いてあって、言われてみれば「それもそうか」だ。 「危なくなったら自動的に切れます」の類でも、万が一の事故だってあるわけだしな。「〜します」「〜こうなります」とマスデスで言われると、そういうもので、そうならない事は絶対ありえないんだと無意識に思ってしまう。 手術時の麻酔だって、人によっては僅かな麻酔で死ぬこともあるわけで(私は歯医者の麻酔で酷く心拍数があがった事があり、てっきり緊張してるのだろうと勝手に納得していたら、「それは麻酔が体に合ってないのだ。直ぐに言え」と後で怒られた。歯医者の麻酔で死ぬ事もあるらしい。それは実例を知るまで知らなかったし、それまで歯医者に行って死ぬ事があるなんて思いもしなかった)、九百九十九人には大丈夫でも希少価値のこの人にだけは使ってはダメな一人かもしれないのよな。難病の治療薬でも、九百九十九人には効かなくても、残りの一人にだけはメチャクチャ効くって事もあるのよな。
それで親父さんなどは医学は科学ではないから信用しすぎるものではないと言っていたものだが、では医学は本当に科学ではないのか…と言えば果てしなく微妙だ。科学を名乗るのであれば、同じ条件下で同じ事をすればいつ誰がやっても同じ結果にならなければならないとかなんとか。しかし個人の肉体というものがある限り、「同じ条件」ではありえないよな。細胞クラスの段階では同じ条件になれるが、総体としての肉体となると。 これが毎度不思議だ。 細かく分けてみていけば同じになるが、その同じ物が合わさった状態では違うものになるのよ?実に不思議。
うん、大体ね失敗が人間を形作ってるようなきもせんでもない。 人と話してて、「私は明らかに製造にしくじった痕跡がありますよ」「私もー。これは絶対に製作途上でミスったんだと思う!」ってのは結構ある。 私の親指だけ逆に曲がるところとか、生まれつきある痣とか、設計図通りなのか設計図のコピーで失敗したのか設計図の再現中に間違ったのか明らかでないが、やっちまった感溢れてる。 親父さんは手首の動脈がその上を覆って保護すべき骨の上に出てしまってるのよな。噂の、手首を切って自殺するためには、その血管に達する為にかなり深くまで切らねばならない…と言われてる血管が表皮の直ぐ下にあり、「危ない!危ない!」と看護婦さんにビビられた事があるらしい。「だから僕は自殺するのが人並みはずれて簡単なんだ。ここをちょっとだけ切ったら直ぐ死ねるのー」とウキウキ言っていた。 あれは胎児になるまでに細胞分裂中間違えたんだと思う(正確には間違ってる事に気づかなかったというか)。作ったのは立派だったけど、作る場所を間違えたに違いない。「まあいいじゃん。場所はどうあれ、あるにはあるんだから問題ない」の勢いでそのまま成長して還暦まで迎えるまでに。 これは人間が生きるに野山をかけまわって飯を取っていた時代には冗談ではなく命に関わるミスだったと思うんだが、今は机仕事でも生きていける時代なので格段に生存確率が伸びているよね。
結構、ミスは多発するのだと思う。で、「失敗があってもなんとかなる」事も結構あるのだと思われる。はーれくいんの歴史物なんか読んでると、よくヒロインが窮して一人で赤子を産んだりするのだが(例:夫の政敵が攻め込んできたところで産気づき、戦場から一人逃亡して焼け残った民家でこっそり産んだりする。それを夫が必死で探す。最初ツンツンから始まって最後はデレデレで終る)、その時に大抵必ず生まれた赤子の指を数えるのよな。それで「よかった!ちゃんと五本ずつ揃ってる!神様感謝します!ガク」と気を失うのよ。生まれたばかりでは脳の異常はわからないが、それにもましてまず人間の形をして生まれてくるかどうかというところから心配はあるのだとわかる。つまりそれだけ欠けたところも多すぎるところもなく五体満足で産まれてくるというのは確率の問題なところがあるのよな。 誰か産婦人科医が「最近の妊婦は受精卵が赤ちゃんの形になり、何の異常もなく生まれてくるという事がどれだけ奇跡的な事なのか全くわかってない。当たり前に正常で生まれてくるものだと思っており、何かあるとすぐ医者を訴える」とフテていた。
私の頭の白髪だが、何かの拍子で調べてたら先天性の病気?っぽい事が判明したのだ。自己免疫疾患の尋常性白斑っぽい。たぶん。治すには放射線治療とか皮膚をはがして移植する外科手術らしいよ。頭の普段は見えない一部だけが白いだけだから、「これをどうすればいい」なんて考えた事も悩んだ事もろくに無かったのだ。
しかし自己免疫疾患の一つという事は、つまり私はもう生まれながらに自ら(の細胞)を敵視して攻撃する性質を根深く持っているんだなと呆れた。アトピーもだし。 思うに、当面の敵がいなくて暇だと手慰みに自分を攻撃してしまうのよ。軍事訓練の演習みたいなものなのよ。ささいで少量の物質にでも勢い込んで、あるだけの弾をつぎ込んで皆殺しにすべく大砲撃ったりしてるに違いない。 何が悪いって胸腺の士官教育が悪いんじゃないかしら。 あまりに暇だと「緊急時を想定して兵器(免疫物質)を大量生産した。が、今は緊急時ではなかった。せっかくなので気持ちよくタメシ撃ちがしたい。こんな事ができるのは健康で平和な今しかない」となり、「前からおまえの細胞壁が気に入らんかった。そこの隙間がちょっと膨らんでるのは、私的にあってはならない事だ。死んでもらう」とか「××のメラノサイトで不穏な動きがあるという情報をキャッチした。特殊部隊を投入して殲滅する」「ちょっと罪の無いメラニン工場を攻撃するのは止めて!大体メラニンはどうなるの!?」「メラニンなんてあってもなくても同じだ。いや、無い方が良い。私は白い方が好きだ」とか、傍若無人な理由で罪の無い自己を虐殺してるに違いない。
私の頭の白いところでも、かつて好戦的な司令細胞によってメラニン手工業を営んでいた村民の虐殺が行われたに違いないよ。周囲のメラノサイトが伸びようとしても、鉄条網で覆われたメラノサイト立ち入り禁止区域なんだわ。境界に近づいたメラノサイトは「ここではメラニンの生成は禁止されている」と問答無用で撃ち殺されるの。まさに、どうして。何故そこでだけメラニンをつくってはだめなんだろう。全くわからない。歴史的な何かがあるんだろうか。
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