非日記
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2007年03月06日(火) 色々。

昨年から、極たわいない事をあまり日記に書いていないのが気になっていたので書いてみる。

電車の待ち時間があったので、近くをうろつき、下った事の無い坂を下って歩いていってみた。裏手にある川に出たかったのだが、どうやら遠すぎた。少しひなびた家ばかりが並び、懐かしい雰囲気だった。放置自転車の保管庫があり、小さい公園があった。ベンチに腰掛けた老婆が握るヒモの先に犬が繋がれ、傍らに年寄りの白猫がいた。白猫は少し黄ばんでいた。
昔から高いところに登るのが好きだ。よく進入禁止と書いてある貯水場に隠れていた。学校の昼休みは校庭の端の登り棒の上に座っていた。学生時代は屋上に寝ていた。木に登って痴漢をやり過ごした事もある。そういえば私は高いところが好きだった。懐かしくなり、滑り台の上に座って待つ事にする。
…進入禁止と書いてあるところに良い子は行ってはいけない。貯水場に落ちて溺れ死んだり、変質者に捕まったりする事があるのだ。私は運が良かっただけで、というか私は人が沢山いるところの方が変質者に良くあったものだが、そしてそろそろこの辺は時効という事にしてくれ。あそこで私は虹を見たことがある。そこは山の上だったので、町が見下ろせたのだが、夕暮れに、遠く小さく立ち並ぶ家やビルやらの細々とした町の真上に真円を描いた丸い虹が浮いているのを見た。それはきれいだった。その下に人が住んでいて、毎日どんな風に暮らしていて、そして例えば私がどんな気持ちでいるのかなどどうでもいいような感じに、馬鹿でかい巨大な虹がまあるく浮かんでいて、それはもう嘘みたいな虹だった。それで私は本当は虹は丸いのだと知った。私はそれが消えるまで見ていた。神々しいほどの夕映えの射す角度が変わっていくとじきに消えた。たぶん、今あそこで雨が降っているのだろうと私は思った。そう思っただけだったが、その虹が瞠目するほど巨大で、見た事もなかった丸い形をしていて、それが宙に浮いていて、なにやら妙なほど美しかったのは別の事だ。
虹は簡単につくれる。晴れた日に霧吹きで虹が見える場所を探せばいい。要は陽光と視点との角度の問題だ。吹きながら順に追っていくと丸いことがわかる。
たまに童話や絵本みたいなので、虹の果てを探して消える前にと走っていくエピソードが出るよな。私は虹の果てを見ようと思った事はない。虹に果てなどないんだ。果ては足元にある。ただの事実だのに、こういうとなんだか哲学的だな。

そのうちやってきた、どうやら近所のオジサンに犬が吼える。「鳴いて煩いでしょう」と老婆が言う。おじさんは何も言わない。おじさんは家に入っていく。ばあさんが立ち上がり犬を引いて歩いていく。老猫が立ち上がって後ろをついていく。バラックのような家に帰って行く。
時間が来たので私は滑り台を下りて立ち去った。

また路面電車に乗っていたところ、気がついたら雨が降っていた。家に帰るところだったので濡れて帰ろうと思っていたら、信号で止まった運転手さんが出てきて「土砂降りですから」と手ずから傘を貸してくれた。じぇんとる。経営は厳しいようだが、頑張っていただきたい。昨年末からの運賃値上げは春風さんのように気づかなかったふりをしてやろう。

春になると新じゃがが出るので嬉しい。新じゃがを皮を向かずに切り、昆布と豚肉としょうがで煮ると旨い。酒とみりんとしょうゆと砂糖で味付けする。彩りに緑色の豆も入れるはずなのだが、高いので止す事にする。新じゃがはン年前のスーパーのチラシにはタワシで洗えと書いてあったのだが、タワシは無いので金ダワシで洗ってみたら皮が禿げすぎる。これ以上ないほど土は落ちたであろうから良い事にする。
アクを取れとは書いてなかったのだが、気になるのでとりつつ、スプーンおばさんの歌を歌っていたら、この歌は奥が深すぎる事に気づいた。幸せと不幸せをかき混ぜるスプーンとはどんなスプーンなのだろう。かき混ぜてしまうと、どうなる。それで一滴の愛をすくってアナタにあげたいとはどういう意味なのか。奥が深い。
しかし某嬢は此間、すごい溜息っぽい口調で、「あのねえ、おね〜さん。歌ってのは歌詞の意味なんか考えるものじゃないのよ」と私を諭していた。考えてはいけないものでもないだろう。せっかく日本語なんだから、考えたっていいじゃないか。考えるほうが楽しいだろう。考えるなというのなら、♪シャリオン♪みたいに初めからどこの国の言葉でもない歌詞にするべきだと私は思う。

大家の息子からまたりんごを貰った。先月も貰った。実は先月のりんごがまだある。「食わんか」と言われたので「食う」と言ってしまった。先月分を急いで食う。もらった当初は「傷み始めてるので早く食ったほうがいい」と言われていたが、一月経ってもまだ食えた。
昨年はまたカバンやらジュースやらインスタントコーヒーのセットやら菓子やらなにやらかにやら貰いすぎ、もはや何を貰ったのかも考えないようになってしまった。すごく貰っていることは確かだ。捨てるつもりの物や処分に困っている物をくれているらしいので、断ろうとしたら不機嫌そうになるからだ。…というのは言い訳だろうか。もっと気を確かに持つべきか。
そういう類で好き嫌いらしい好き嫌いがなく、出されたものは黙然と受け取るので「アナタって遠慮ってものがないのね」と苦言を呈してくだすった職場のおばさんからすら、「アナタなら貰うかと思って」と袋いっぱいのシャンプーやらリンスやら歯磨き粉やらの試供品の山を貰ってしまった。おまえは職場にこんなものを山盛り持ってきて、私が要らんと言ったらどうするのだ。もうどうにでもなれと思う。

川沿いの桜に蕾ができているのを発見した。
アザミが好きだ。
空を見上げたら雲が流れていた。幼稚園児の頃も空を見ていた。小学生の時も空を見ていた。中学生の時も空を見ていた。高校生の時も空を見ていた。フリーターの時もニートの時も学生の時も空を見ていた。いつも雲が流れるのを見てるような気がする。青い空に白い雲が流れて、木の幹は茶色が多く、葉は緑が多い。私はそれを見ているのが好きだ。年老いて白内障とかになって視界が黄ばんだらどうしようと今から心配だ。世界が黄色くなったら生きていく自信がない。いっそ真っ黒な方が良い。目を閉じて生きるというのはどうだ。
今日の上の下着は茶色で上衣は緑でカバンは茶色だった。誰も下着とカバンを合わせているとは思うまい。私も思っていないが気がついたらコーディネイトされていた。
帰りに上を見たら今日のオリオンはよく見えた。冬の大三角形を四角形と間違えるぐらい。オリオンは何者だったろうか。真ん中の三ツ星がウエストだった気がする。
今日は「私、太ってますよね」と問われて困った。本当の事を言っていいのか。少しゲゲゲの鬼太郎の妖怪の百目を思い出すとか、本当の事を言っていいのか。しかし私は百目の見た目はとても可愛いと思いますと正直に言って、それで正しい返答になるだろうか。困って、「少し手足が細すぎるのでは」と言ってみた。手足は細いのだ。胴体はゲゲゲの百目なのに手足はネズミ小僧っぽい。これはよくない。ネズミ小僧が妻帯者というのは本当か。

眠くなってきたので寝ることにする。

日記と言うのはこういう事を書くべきじゃないのか。


やぐちまさき |MAIL