非日記
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2005年09月18日(日) ざまみろと。

実家に梨が送られてくるので、それを転送しようかどうかと言う。例によってあまってるらしい。まあ二人でダンボールに何箱も食べれるわけがないのだ。近くの知り合い、友人や世話になってる人には配りつくしたという。
しかし、もうすぐ兄の命日で、しかもまだ何年も何年もは経って無いから、S光の友達が来るんじゃないか、その時分に出したり、土産に渡したらどうかという話をしたら、二十年来だった一等の親友はたぶん来んだろうという。
彼は、いつも妙に外した時期に、ひょいと寄って来るらしい。遠いのにな。
確かに、頭がキレる上に、性の繊細な(要するに思慮分別のある)人なんだよね。命日は、「わざと」外すかもしれん。ありうるよ。

それで私は、先ごろまたも大家の息子にうっかり葡萄を貰ったので(だって葡萄は好きなんだもの…高いんだもの…)、「例のものを頼む」と言うてしまったのだ。
ただ、一人暮らしで半身不随の人間に「刃物で皮をむかなきゃ食えない」ものを贈るなんてどうだろうかと思わんでもないので、どうするべきかとあちこち相談してみた。大体揃って「皮を剥いて切ってから、あげたら」と言う。
しかしそれでは貰って直ぐ食べなきゃいけないし、なんかこー「もうできないんだろ?だからやってあげたぜ」って感じで、底意地が悪くいやみったらしくないか?と愚図愚図思ったりする。
なんかこー、失ったもの(能力)を、眼前に突きつけるかのようで。そういうの気にしない人だったら良いんだが、だって本人は「こんな身になって生きるぐらいなら、あっさり死んだ方がマシ」とブツブツと、その通りにアッサリ死んだ息子を持つ私の親には言えんような事をほざいてるぐらいだしな。ちょっと迷うわ。
大家さんにと言って渡してみても、歳なので固いものは食べられんかもしれん。好きなのはイチジクとかだったし、土産もなんとなくプリンとかゼリーみたいな柔らかいものを選んでいたのよな。
まあこういうのはな、「喜んでもらおう」等と僭越な事を思ったり、「喜んでくれないかしら」等とあげるほうのくせに相手に期待をするから、どうしようこうしようと迷うわけよ。そんでウッカリすると正直者を相手にしてガッカリするわけよ。そんで正直じゃない相手を相手するといい気になるねんな。
初めから「苦しめ」と思って渡せばいいわけよ。それで嫌がられたら、「よし嫌がっている!期待通りだ!」と気持ちよく思うが?
いや、それ極論だからね、私よ。ただ気構えの問題で。別に苦しめたいわけじゃ無いんだから。
ただ「チョッピリ勇気を出して、ご近所付き合いをしよう」だけなのに、手段を考えていると、何故目的を大きく外れていくのだろうか。やる事は一緒なのに、心理的な目的が真逆に向かうのはなにゆえ。まるで方違えのように。
ささいでかわゆらしい動機が道を外れ、犯罪の決意レベルにまで高まっていくのは何故だろうか。

ところで梨が来たので、連絡したらば、今度亡兄の同僚が揃って顔を出すという。皆でごっそり辞めるんだそうだ。
あらあら。
そんな知らせをわざわざ教えてくれ「それだけだけど」なんて、「パパよ、おぬしも悪よのう」という感じだ。口にしなくても「ざまあみやがれ。自業自得だ」と思ってるな。私は心から思ってるぞ。


電停にて>>
「顔見知り」というのだろうか。
いつも同じ時間の電車に乗る相手。おばさん。幾つかわからん。目があうと会釈をしていたら、いつだったか最初に向こうから挨拶をされ、それで挨拶をしかえしたら、そのうち挨拶をするようになった。時々挨拶をしても気づかれないこともあり、そうすると気弱な私は挨拶をしなくなるんだが、そのうちまた挨拶をされてみたりして、「時々挨拶」関係は地味に続いていた。
この「時々挨拶」関係の超絶微妙なところは、挨拶の言葉が
「おはようございます」
「おはようございます」
↑本当にこれだけ、というところだよ。
ついでに、最初にやってきた瞬間に、相手が他所を向いていて気づかなかった場合は、わざわざ挨拶はされない。ナチュラルに無言。このへんが超絶微妙なのだ。まさに「顔色を伺う」関係。何のために顔色を伺っているかというと、「おはようございます」とただソレだけを言うためだけだ。
だが半年以上、そんな事を続けていれば、極稀に、ほんの少し会話が続く瞬間も来る。そして情報も少しずつ手に入れる。

私が知っているのは、彼女がどこで下車するのかと、帰宅する電車が何時ぐらいのものかと、孫がいるという事(これは偶然帰りに同じ時間帯になり、ちっちゃいのが横にいるのを目撃したのだ。「お連れですか?」と尋ねたら「孫です」と言ったので確かだ)。時々乗ってくる電停が違うのは、時間があったら歩いているからで、私と同じ電停に乗ってくる時は、既に一駅歩いてきているらしい事。
彼女が知っているのは、私が降りる電停と、私がその後どこへ向かうのかと、私が勤めているところと、私が会議のある時は遅く帰っていることぐらいだ。

勿論、私達は互いの名前も年齢も知らない。知り合いになろうとしてなってない上に、ならねばならない強制力も無い上に、互いに極端に口数が少ない(注:少なくとも私は人見知り)…というか、それほど社交的じゃないからだ。もう何年来になるのか、同時間の電車には5〜6名、働き者のおばさんたちは顔見知りのネットワークができているようだ。勤務先に向かう時間が同じで(乗ってくる場所も降りる場所もバラバラ)、よく並んで腰掛け(座る場所も大体決まっている)、色々喋っている。が、その中でも彼女は口数が少なく、人の話に黙って耳を傾けている方だよ。

そんな果てしなくどこまでも「微妙」な関係の私達だったが、私はその朝の挨拶の一瞬で「今日の○勢」を○っていた。■の中には運が、「○い」は「う△ない(△にはラが入る)」。

「今日は誰とでもスムーズなコミュニケーションがとれます。自信をもっていきましょう。」(十年来並の滑らかな挨拶に成功)
「ちょっとイマイチすれ違い気味。相手の様子にもっと気をつけて、タイミングをあわせましょう。」(互いに相手が挨拶をしたのに、「え?今日は挨拶するのだった?いけない。挨拶しなくっちゃ」という感じに微妙にズレた)
「もう少し自分から積極的に行動しましょう」(挨拶を口にするのに、先を言われ、後から言った)
「待っているだけでは何事もすすみません!あたってくだけましょう」(注:タイミングを逃し挨拶できず。もしくは挨拶の緊張を恐れ、タイミングや視線をわざとずらして逃げた)

という感じに、毎日密かに軽く○っていた。

他にも、
互いにいつも一言も喋らないが、時々突然話しかけてくる「ベンチの左に座るおじさん」=何もなければ必ず向かって左に座る。週休二日っぽく、土日は休み。ただいま禁煙中で、甘いもので口寂しさを誤魔化している。おかげで少し太り気味。性格は割りとアバウトで、液体の中身が残っていてもゴミ箱に液体ごとゴミを捨てて気にしないタイプ。トイレに行く時は、大事なものだけ持ち、ベンチの上にコンビニの買い物袋など荷物を置いて行くあたりもアバウト(←収集した情報)
等もいる。
他に「通りすがりに突然話しかけてくる人」の有無など。

それらもあわせて、総合的に「今日のコミュニケーション」という「○い」をなんとなくしてたわけよ、私は。いつのまにか。
暇なのか私?
いや、他人と会うのに常に緊張してるねん。同僚がいなくて、言うなれば敵陣に一人で突っ込んでるようなもので、あげく機嫌のよしあしで応対が明らかに代わるお天気屋さんなんかがいるもんで。それでなくても、私は相手のささいな違いに「何かあるのか?」と直ぐ緊張する方だし。声の高低や語尾の違いとか、そのレベルで、もう「なんかいつもと違う」と緊張するねん。
「ほとんど大体は自分の気にしすぎだ」とわかっているんだが、緊張するのはするんだもん。仕方ないじゃんか。

いっそ明らかに敵対すると、全然気にならなくなるんだが。そうね、全然気にならなくなって絶好調になるね。敵とも味方ともつかない中途半端なのがいけない。そしてそういう中途半端なのが、人生では殆どなわけよ。そして後、ささいな好意がある場合は最悪だ。

そんなわけだったが、先だっては驚いたわ。
例によって電停のおばさんと挨拶をして、すると突然

「明日はお休みですね?ふふふ」

んま?!何で知ってるの!?
すごい。私の休みは決まってなくて移動するのに、半年間の観察の賜物なのか?
いや、私も自分が先に電車を下りるのに、自分が下車した後、彼女がどこまで乗っていってどこで下車するのかを、「…いつも○×で下りるんですね。見ました。ふふふ」と突然言ったけどね(苦笑)

そんな日の○いの解釈はこうですよ。

「あなたが気づかなくても、いつも誰かに見られています。誰も見て無いと思って怠けていても直ぐにバレますよ。気をつけて!」
慎重に居眠りこかねばならんよ。


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