sasakiの日記
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2014年02月12日(水) Gibson J 50

最初に買ったギターがカスガで、値段相応に鳴らないギターだった。
鳴るかならないかを言えるほど贅沢な身分じゃないから、こんなものかと思って使っていた。まだ、マーチンもギブソンも知らない。
バンド始めた時も、サークルの仲間達はどこのギターメーカーかわからないような怪しい楽器を使っていた。弦が6本あってそこそこの弦高だったら乱暴に弾くことはできる。時々カホンみたいに叩いたりもする。
僕たちは仕事にするつもりも、これで金が稼げるなんて夢にも思っていないし、人に知られたいとも思っていなかった。
ヤマハライトミュージックコンテスト、LMCに出てみるかと稲村さんがチラシを持って部室に入ってきたのが半年か一年たってからだろうか?
「Let it be」が出たばかりで、ジョージ・ハリスンの「I me mine」が気に入っててコードを研究していた。
そんなある日、「ねむくなるまで」を持ってきた。
僕はカスガのギターからジャンボに変えた。
どうやら、世の中にはマーチンやギブソンというどえらい音がするギターがあるらしいという噂が入ってくる。
同じ大学生で持っているやつまでいるらしいという情報までちらほらと。
気がついたら北海道予選も軽々と飛び越え、東京の本戦会にまで出ることになっていて、それ以後はコンテストに出るとほぼ決勝戦まで勝ち上がる。自分たちもうっすらと気がついていたが、コンテストあらしだった。
いなむら一志という歌がない限りはあり得ないことだったけど。
いなむら一志には歌えない歌はないだろうと隣でギターを弾いて、つくずく思っていた。それくらいすごいボーカリストとソングライターだった。
僕らは巣で餌を待ってるひな鳥みたいに、ただ、いなむらさんが新しい曲を持ってくるのを待っていて、唄い出すと恐る恐る後ろからついて行き、ギターをいれたり、ベースを置いて行ったり、フルートを吹いて行く。

最初にみんなの前に現れたのがGibson J 50。所謂外国もの。得意満面だった。
いなむらさんは大体これ以降Gibsonに走って行く。
僕は後にも先にもマーチン一本。
ジョンが弾いてたGibsonからずっとGibsonが好きだったのじゃないかと思われる。

乱暴にいえば「ねむくなるまで」からこの仕事につくことになっていたのだろう。
コレクターじゃないけど、いなむらさんはギターをたくさん持っていた。
コレクターじゃない証拠に高いギターは集めていない、どうしてそんなギターを買うの?というようなものが多々あったように思う。
一曲作るのに一本ギターが要ると言ってたのを、ぼんやり覚えているけど、多分冗談じゃなかったんだろう。その感覚はギターを持っていない僕にもわかる。
新しいギターには新しい曲が埋まっているような気がする。

僕の家にGibson J 50がある。
昔むかしのJ 50ではないだろう。
僕のところにそのギターがきた。
折があったらみんなにも見せてあげるよ。
アマチュアの頃に憧れていたギターを。
稲村さんの使ってたギターを。


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