sasakiの日記
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どこにも年が書かれていないけど、山梨放送でやっていた「佐々木幸男のまた逢う夜に」という番組のオンエアー用の曲目と話すことのメモがびっしりと書かれているので多分80年の頃だと思う。 最後のところに忽然とこのことが万年筆で書いてあるのでその当時気に入った話だったんだと思う。秋田の話はコンサートで割りとあっちこちで話したので憶えている。
山木君が酒飲みに行こうとして友達の藤田君を誘ったところ、野球をやってボールを顔で受けてしまい血だらけになって救急車で運ばれ、今寝ているところだといい、そんなわけで見送りってことになり、次に僕を誘ったところ僕も急性の胃炎で寝ており、彼は怖くなり、その日は家から一歩もでず、布団をかぶって寝たということです。(ノートにかかれていたママ) 藤田君に野球のチームのメンバー誰か見舞いに来たかどうか聞いたところひとりだけハエ叩きとお椀を持ってやってきたということです。そのハエ叩きとおわんの由来を聞いたところ、ハエ叩きは暇になっているだろうと思いということでハエでも叩けということらしい。お椀は、もう、玉を追わんと言う洒落だそうだ。ふん。
これはぜんぜん憶えていない。僕が急性胃炎になったことは一度しかなかったので札幌の学園祭を飛ばしてしまった時のことだろう。急性胃炎になったきっかけはよく憶えているけど、これは書くのは無理。 そうかあ、30の時だったんだ。 まだ24年前のことじゃないか。ノートも真ん中あたりに9月3日の放送ノートがある。
(1)トマトジュースで追い返すのかい 大塚 博堂 誕生日 まだ30年 もう30年 ようやく30年 丁度30年 これから30年 年端のいかない30年 まだ青い30年 真っ赤に燃えた30年 単なる目盛り (2)ラブ イズ イージー 尾崎 あみ はっきりいって若い人たちが考えるほど老けちゃいない。 ひとつだけ違うことは着るものに原色を選ぼう(冗談なのか本気なのか 今の僕にはちょっと分からない。この頃から考え方は老けていたので。) それと20代の頃よりも後ろを振り返ろう、思い出を引っ張り出そうと言うのはないです(これも冗談なのか本気なのか今の僕には理解できない。すみません。)もっと、もっと先のことを考えれるようになるんです。(はああ・・・。)そうです老後の暮らしを!(果たしてこれは面白いんだろうか?) (3)ごきげんいかが ワン ツー スリー スネークマン ショー 国民年金のスライドがもっと上がるんだろうか? このまま老けても女の子にもてるんだろうかとか。(とか、じゃないだろうに、まったくもう!)
番組に葉書とかもらった記憶ないので人気はなかったんだろうと思われる。(おいおい!)それでも何年もやっていた。なんだったんだろう?不思議だなあ。録音は青山の制作会社でやった。
若い時の自分に突っ込むのはもしかしたら面白いかもしれない。それと、今度この頃の人たちに会うことがあったら是非謝らないといかん。不調法の数々と不義理のあまた。
これから書きかけの詩を続ける。 明るく進行するつもりだったのだが夜空に手持ちのライトを照射した瞬間から暗いフォースが忍び寄り、ここまでいったらちょっと歌として唄うのはきつすぎないかと言うところまできてしまっている。 仮タイトル「NO NO NO NO」 Aメロは一音か2音ぐらいで進行する言葉の多い構成で進み、Bメロ、若しくはサビで階段を一段一段上がるようにコードが上がっていくようになっているが、言葉がうまく収まるかだけが心配。なんかマニアックな歌になりそうだ。 小樽の一匹長屋のメニュー。概ね決定した。 あとは一郎のように地味な練習。
自転車もそろそろマフラーが必要かもしれない。首から寒風が。
sasaki

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