sasakiの日記
DiaryINDEXpastwill


2002年03月11日(月) 秋一番

 あまりにも唐突的なんです
 君が僕に会いたいなんて
 寝ぼけまなこをこすり 街に出かける時間が3時

 君はどこで待つとも言わずに
 僕は僕で 街中駆け回る
 風に吹かれフラフラの僕は 君をイライラさせる

   ゴキゲン斜めなのは僕のせいなのかい
   なんて、なんてひどい目でにらむんだい
   さあ元気だよって言ってごらん


 僕は今でも人称代名詞には一寸困っている。
 普段の会話は概ね俺で通している。
 詩にリアリティを持たせたいならば本来は俺で書くべきなのかもしれない。
 どうして詩になると人称代名詞が変わるのだろう?
 文章や詩にするぶんには「僕」という単語は使い勝手があるし、ある程度の落ち着きや体裁が整えやすく、実生活からもいくぶん遊離できるというメリットがあるため使ってるんだと思う。
 俺という人と僕という人は根本的に生活環境や生活習慣が違うような気がしてならない。
 「俺」と「僕」。
 僕は「君は風」という曲が最初にあったせいで、それから先、僕的生き方、僕的作詞になったんだろうと思われる。
 ある意味人称代名詞の選択というのはその作風の色の選択に近いものがある。
 僕がもし基本的に「俺」を選んでいたら大分音楽が変わっていたかもしれない。
 「俺」の向かいには「お前」が座り、「僕」の隣には「君」が座る。
 上の「秋一番」だって人称代名詞が変わり「俺」「お前」で唄えばもうヤンキーソングだ。
 「イエス」という4枚目のアルバムがあるけど、それは作詞が有川さんという女性作詞家で人称代名詞は「俺」で書いてあり、はじめその作詞されたものを唄ったときに微妙な違和感を覚えた。明らかに文体が違うといった感じを受けた。
 「俺」と唄うときなにがしか身体の軸がグキッと動く感じがする。
 
僕が歌の中で唄う僕というのは一体誰なんだろう?
 
 僕はこのライナーノーツを書こうと決心したときに思ったことは、出来るだけ仕掛けを沢山こしらえよう、僕と俺が混沌となるように書き込もう、僕が自分の歌に干渉するようなことがないようなものが出来上がればいいなあと言うことだった。

 いい喫茶店とロックンロールが大好きだった頃のうた。
 街に出れば必ず誰かがいた。人を捜すのにもそれほどの苦労は要らなかった。
 街は僕らのものだった。 


業務連絡、業務連絡!三角山のフレンチ・ロリータさん。3月23日、土曜日放送、佐々木は多分オーケーではないかと思われますのでここに告知させて貰います。といったわけで、先の話ですが、もし覚えていたら三角山聞いてください。 
夕方5時です。 


sasaki