いろいろなまいにち
本音の日常日記です。楽しくはないぞ、きっと(^^;)

2007年12月26日(水) 悲しい日。

万が一のことがあっても蘇生措置を取らないことを家族で決める。
十分頑張ったから心臓マッサージも呼吸器もなしで。
先生も看護婦さんも病室から出て、なにかあったら呼んでくださいと
最後を家族で看取れるようにしてくれた。
徐々に父の呼吸が少なくなってゆく。
鼓動も徐々にすくなくなってゆく。
ついに一分に一回ほどの呼吸に。
先生を呼ぶ。
先生が聴診器で音を聞き、瞳孔を見る。
ついにこの時が来た。

12月26日0時30分、父永眠。

みんなでお父さんの胸についていた心臓モニターと、
酸素マスクを取る。
(意識がないながらもすごく嫌がっていたので)
ひとしきり泣いたあと、
いろいろなところに父が亡くなったことを連絡する。
(大ちゃんは一部屋貸してもらって、そこで寝ていた)
父の処置が時間がかかるので、兄たちは葬儀社に連絡し、
母と私は家に帰って掃除をすることに。

とにかくすべての物を二階へ上げ、
私と大地くんが寝ていた座敷をあけるように掃除掃除。
そのうちに上の兄が加わり、みんなで掃除。
下の兄は父とともに帰ってくることになった。
午前3時、父の遺体が戻る。

それから葬儀社の方といろいろな打ち合わせ。
どんな霊柩車にするとか、どんな祭壇にするとか、受付どうするとか
遺影はどれにするとか、ご飯はどうするとか、それはもういろいろと。
私はおなかが減って、一人肉まんを温めて食べる。
こんな時でもお腹ってすくのね。
午前5時過ぎにすべての打ち合わせが終わる。
お通夜は27日、告別式は28日に決まる。

午前6時すぎ、四国からおじさん(父の兄)が到着。
残念ながら間に合わなかった。

兄は区役所に死亡届を出しに。

お昼前に大阪からもおじさん(母の弟)が到着。

お昼御飯の用意をしていた時、キッチンで母と私が立って用事をしていたら、母が普通に「お父さんはどこに行ったの」と少し怒ったように言った。
本当にいつもどおりに、困った人だなぁという感じで。
母にしたら、父が戻ってきた感がしたんだろうなぁ。
というか、お父さんが帰ってきてたのかもしれない。
それをお母さんだけが感じ取ったのかも。

それにしても人が死ぬって大変なことなんだなぁと今更ながら思う。


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