2011年03月25日(金)
3・11
9日から父が上京してきたので、私は9日午後〜11日まで有休を取得し、せっかくの機会なので関東の観光地巡りをしていた。
当初の予定では、10日に浅草・スカイツリー。11日に江ノ島・鎌倉。
11日に見る予定の「明石家さんまプロデュースPart16」は恵比寿ガーデンホールで行われるため、鎌倉だったら湘南新宿ライン一本で行けるので都合が良いからだ。
ただ、天気予報によれば10日は快晴だったが11日は晴れのちくもりで、にわか雨もあるという。
江ノ島は晴れた日に行きたいので、予定を変更して江ノ島・鎌倉は10日に行き、11日は浅草・スカイツリー見学にした。
私のデジカメには、11日14時43分に撮影したスカイツリーが写っている。
これを撮った後、浅草まで東武電車で戻ろうと業平橋駅に向かおうとした時だった。
父が「あれ?電車が線路で停まっとる。地震?」と言った。
ほどなくして、横揺れが来た。
立っていられないほどではなかったが、足元が大きく不気味に揺れるので、地べたに座り込みたいと思った。
しかも長い。
近くのビルの中にははっきり分かるほど左右に揺れているものがある。
気がつくと、父が20年ぶりぐらいに私と手を繋いでいた。
時々、ぎゅっと強く握って来る。
見学客の中には、「やだ、やだ、怖い、怖い」と半泣きになってる人もいた。
ツリーの中からは大勢が出て来た。クレーンもぶらぶら大きく揺れている。
しかし、スカイツリーの作業員の方達は冷静で落ち着いていた。
「ツリーは倒れることは無いけどなぁ」と笑ってる人もいた。
ここで作業員の方たちが緊迫した様子だったらパニックになっていたと思う。
落ち着いた作業員の方々の様子を見て、落ち着くことが出来た。
やっと揺れが落ち着いたが、東武電車は相変わらず停まっているので、歩いて浅草まで戻ることにした。
途中のお寺では石灯籠が落下していたり、会社の駐車場では、揺れに押された軽自動車が車止めに乗り上げていたりしていた。
どのビルからも人が出て来ていて、中に戻る気配はない。
iモードはなかなか繋がらないので詳しい情報が分からずやきもきしていたが、あるビルに差し掛かった時、60代ぐらいの男性がテレビのリモコンを持って外に出て来ているのを見て、ワンセグがあることを思い出した。
ワンセグでNHKを見たら、お台場の火災が映っていた。
東北地方で震度7の地震が起き、中野区では建物が倒壊し、お台場では火災が起きているという。
何故東北で大地震が起きれば中野区やお台場で被害が出るのか分からなかったが、被害が連鎖し、自宅も倒壊したり火災に巻き込まれているのではないかと焦ってきた。
松屋浅草の近くに着いた時、今度は茨城県沖の地震が起きた。
周囲の人は抱き合ったり、手を繋いだりし、あちこちで悲鳴が起きた。
再び揺れが収まったのでトイレを借りようと松屋浅草の中に入ったら、今日は営業を止めるとのことで借りられなかったので、浅草寺に移動した。
この時点で、私達はまだ恵比寿に行こうとしていた。
電車が動いていれば、浅草線で三田まで行き、三田から田町に乗り換えて、JRで移動するつもりだったが、浅草線は運休。
次に考えたのが都バスでの移動。
池袋東口まで行く路線があるので、池袋→渋谷→恵比寿、とバスを乗り継いでいくことにし、バス停へ急いだ。
バス停には既に行列があったものの、とりあえず並ぶ。
並んでいる間にも揺れが何度かあった。
待っている間に明石家さんまプロデュースライブ開催について問い合わせの電話を掛けたが、発信規制が行われているため、繋がらなかった。
バスがなかなか来ないので、行列から何人か抜ける人も出て来た。
本来の時刻表を調べようとiモードで路線情報を見たら、今まで運休していたが16時から運転再開するとなっていたので、寒くなっていたがそのまま待つことにした。
待っている間も揺れてる感じがして、その度に電線を見て確認した。
20分ほど待つと、2台続けてやって来た。
行列から自然と拍手が起きた。
乗り込んでみると、行列から抜けた人達がいたため、なんとか後部座席に2人座ることが出来た。
乗客の大半は池袋まで行くつもりのようで、池袋まで行ってしばらく待てば電車もじきに動くだろうと予想し合っていた。
まさかJRは終日運転見合わせ、私鉄・地下鉄も21時頃から一部路線で徐々に運行再開、ということになるとは殆どの人が予想していなかった。
途中のバス停には大勢並んでいたが、バスは既に満員のため、停留所にはなかなか止まらなかった。
この行列を見たら、池袋まで行っても渋谷行きのバスには乗ることが難しいように思えた。
うまいこと渋谷まで乗ることが出来ても、ライブが行われるかどうか分からないし、ライブが行われたにしても帰りの足の確保が危うい。
このバスは私の自宅の最寄りに停まるため、ライブを諦めてそこで降りた方が賢明のような気がし、父に提案した。
父もその方が良いだろうということで、終点まで行かず、自宅最寄りのバス停で降りることにした。
降りる予定のバス停に着いた。
ここは私の家の最寄り駅の一つ隣の駅の近くだが、普段の時間帯だと見かけないほど大勢の人が歩いていた。
今から歩いて自宅に向かう人たちだった。
駅近くのスーパーで買い物をしようと思ったが、2軒あるうちの1軒は臨時閉店をしていた。
開いている1軒は、泊まり込み用の食材を買いに来た人達がカップラーメンや菓子パンなどを買い込んでいた。
まだこの時点では水もあったし、パンや乾電池もあった。
出来あいの総菜と米、水、お茶、カップうどんを買い、自宅に着いたが、エレベーターが反応しないため、非常階段を使う。
自宅のドアを開けて、まず目に入ったのは、棚の上から落ちたフライパンとふただった。
お風呂場ではシャンプーやボディソープを入れているラックが倒れていた。
居室では、3つある本棚のうち、無事だったのは1つだけだった。
転倒防止器具をつけていた本棚は倒れなかったものの、棚板が落ちたため、書籍も床に散らばっていた。
スライド式のキャスターがついているため転倒防止器具をつけていなかった本棚は、テレビにもたれるように倒れていた。
倒れる際にキャスターが壁に当たったようで、石膏ボードが剥がれていた。
壁にぴったりとつけていたローチェストは30cmほど前に移動していて、今回の地震の凄さを最も感じた。
家にいたら恐怖のあまり動けなかったと思う。
倒れている本棚を片付けようとしたが、元のように立てかけるのは危険だし怖かったので、暫定的に横倒しにした。
部屋の片付け作業をしていたら、緊急地震速報が鳴ったり、余震があったりしたので、その度に携帯を片手にドアを開けに行った。
やっと大まかに片付いたものの、とても料理をする気力が湧かなかったので、炊きあがったご飯をおにぎりにし、先ほど買った総菜と買い置きをしていたさば味噌煮の缶詰で遅めの夕食にした。
お風呂も入る気がしなかった。
怖くてとても今日は眠れないと父に言うと、横になって目を瞑ってるだけでも違うから、と横になることを勧められた。
布団を敷かず、こたつに外出着のまま潜った。
ヘルメットが無いため、クッションを頭の周りに敷き詰めた。
電気はいつも真っ暗にしていたが、今日は二色光にした。
NHKの震災特番も点けたままにした。
携帯も放さないようにした。
午前1時ごろに寝た気がするが、午前4時ごろに緊急地震速報が鳴り飛び起きた。
眠ってても緊張したままだったのか、携帯は握りしめたままだった。