2011年03月20日(日)
最近
3月9日に上京していた父は本来の予定なら12日に福岡に戻る予定だったが、父の勤務先の方に配慮していただき、21日まで東京にいてくれた。
父には速やかに福岡に戻ってもらうのが本来だが、地震から24時間経たないうちに一人になっていたら、おそらく私は不安定になっていたと思う。
本当にありがたく、一生忘れないと思う。
東京も余震は途切れず、一日一回は震度3クラスの地震がある。
父も私も地震酔いの症状に陥ってしまい、本当に揺れているのか自分が思い込んでいるのか分からなくなってきたので、カーテンを見て、確認する毎日だ。
緊急地震速報メールも溜まっている。
計画停電は、自宅も勤務先も今のところ計画予定外地域だが、スーパーの棚は品物が不足していて、ティッシュ、米、トイレットペーパー、パン、インスタントラーメンはどこもすっからかんだ。
ただ、コンビニではパンが全くないのに、その隣のパン屋では焼きたてのパンが割とたくさん売られている。
米も米屋に行けば余裕である。
今日はティッシュが後1箱になったので買いに行ったが、スーパーやドラッグストアにはなかった。
だが、商店街の薬局には一人1ケースの制限付きで売っていた。
米も生鮮食品も、商店街の小売店では、スーパーほどのパニックは無い。
商店街の底力を見せつけられた思いだ。
いつまで続くか分からない非常事態。
笑いに行くことや笑いを求めることが特別ではない日はまた訪れると思うが、それは一体いつになるのだろう。
3月11日以降、失ったことや変わってしまったことが本当に多すぎる。