2009年10月28日(水)
純な期待を込めて耳を傾けていた頃
「天使と悪魔」をやっていた時期を知りたくて、昔の日記やライブレポートを読み返していたが、2005年ぐらいまでの私は、2丁拳銃を見に行く度に一々、一喜一憂していたということに気づいた。
特に、就職を機に上京したことで、行こうと思えば“会社帰りにルミネ”が可能になった2003年頃は一喜一憂のピーク。
ある時は、どう考えてもアウェイの客層の中、飄々と出て来て、ウケを取りにとって悠々とハケていった、と言っては喜び。
ある時は、ちょっとずつ呼吸がずれたりネタが飛んだりして、いつもの2丁拳銃の漫才を見ることが出来ないままが終わってしまった、と言っては嘆いたり。
ある時は、終始いらいらや荒れが漫才のネタ運びから伝わってきて楽しめなかった、と腹を立てながらもへこんだり。
北村薫さんの「胡桃の中の鳥」という短編小説の一節に
>(自分が落語を繰るときの相手は)若い頃の僕が相手です。一席一席、純な期待を込めて耳を傾けていた僕がね。お客様は全員がその頃の僕だと思って話しています。
と、登場人物の噺家・春桜亭円紫さんが話すシーンがあるが、当時の私は“一席一席、純な期待を込めて耳を傾けていた僕”そのものだったと思う。
理屈も理由もなく、ただ、舞台でネタをやっている2丁拳銃を見たくて見たくて、足を運んでいた。
まだまだネタ中に危なっかしさや危うさを覚えることもあったので、10分という持ち時間を最初から最後までゆったりと構えながら見ていたことは、殆ど無かった。
時によっては、ネタ以外の言動や行動にもはらはらしたり、むかむかしたりすることもあった。
ある意味、“目が離せないコンビ”だったことは確かだ。
当時と比べると劇場に足を運ぶ頻度が格段に減り、ネタを見る機会も少なくなったこともあるが、今、2丁拳銃についてそんな感情を覚えることは、考えてみれば殆ど減ってしまった、というか皆無に近い。
だからといって、今の2丁拳銃に、当時のような“目が離せない”状態に戻って欲しいかと言われたら、個人的にはもう勘弁して欲しいというのが正直なところ。
やっと、安心してゆったりと2丁拳銃の漫才を楽しめるようになったのに。
あの危なっかしさやはらはら感は、あの芸歴の2丁拳銃だったからこちらも乗ることが出来た訳で、今だにあの状態だったら、わくわく感より冷やかな目を向けるだろう。
渡辺鐘さん曰く「笑いって趣味の問題」なので、それぞれ色んな持論があり、恐らくそのどれもが真実。
私自身は、派手な見た目や動きで仕掛けていく笑いよりも、じわじわと惹きつけられて、気づけば虜にされる笑いが好き。
だから鶴瓶さんの笑いにも魅せられるのだろう。
来年4月に国立演芸場である文珍師の独演会。
鶴瓶さんがゲストに出る日の公演の先行予約があることを鶴瓶さんの落語会に行った方から教えてもらい、申し込んでいたのだが、今日チケットが届いた。
相変わらずの鶴瓶運。
今週末はサザンシアターの落語会。
今回楽しみなのは、鶴瓶さんの落語を見たことが無い方と一緒に見ることだ。
笑福亭鶴瓶の落語を一人でも多くの人に聞いて欲しいので、ペアが取れた時は、なるべくまだ一緒に鶴瓶さんの落語を見たことがない人に声を掛けるようにしている。
鶴瓶さんの落語が合うか合わないかは別問題なので、鶴瓶さんを好きになって欲しいとまでは思わない。
私があんなに感動した先月の「らくだ」も、ブログ検索したら見事に賛否両論だったし。
自分が好きなものを他人も気に入ってくれることは、奇跡に近いと思っていた方が良い。