2007年03月16日(金)
キーステーション
仕事終わりで「笑福亭鶴光一門会」に行くため有楽町のニッポン放送・イマジンスタジオへ。
ニッポン放送といえば「オールナイトニッポン」。
「〜以上各社の協賛で、東京都千代田区有楽町ニッポン放送をキーステーションに全国31局ネット(1992年当時)でお送りします」というあのフレーズはビタースイートサンバと共に忘れられない。
私は1991年〜1993年までウッチャンナンチャンのオールナイトニッポンのリスナーで毎週120分テープに録音し、学校から帰った後録音テープを聴くことが土曜日の楽しみだった。
あの頃は福岡より遠いところは有楽町もニューヨークも“自分に関係が無い都会”だったが、録音テープから流れる「東京都千代田区有楽町ニッポン放送」というフレーズを聞く度に、自分の楽しみを作っている素敵な場所という親近感が湧いた。
16年後、初めて見たニッポン放送の社屋は予想していたより小さくて意外だった。
しかし、ここがあの頃わくわくしながら聞いていたあの番組を日本全国に送り出していた“キーステーション”だと思うと、なかなか感慨深いものがあった。
「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の嘗てのリスナーだった世代が大半だった一門会は(これぞ上方落語!)というもので大満足。
帰りは鶴光師匠自ら出口に立ち、お客様一人ひとりに「ありがとうございました」と声を掛けて送り出してくれた。
結構お客さんは積極的に「師匠!」と声を掛けたり握手を求めたりしていた。
私は何となくテレてしまい耐えられそうになかったので、もう一つあった出口からひっそりと抜け、客を送り出す鶴光師匠と鶴光師匠と触れ合えて喜んでいるお客さんを見ていた。
鶴瓶さん以外の松鶴一門を見たくて行っただけでこうなのだから、仮に鶴瓶落語会の最後がこういう形で終わった場合、私は握手した途端、泣くかアワワアワワして腰を抜かすかのどちらかの気がする。
どちらにしろ周りに迷惑だなぁ。
鶴光さんの落語には、実際には私は生で見たことがない筈の六代目笑福亭松鶴の面影がちらちら感じられた。
身体は無くても、そこに松鶴は生きている。