2007年02月18日(日)
名は体を表す
という割に、ライセンスの改名騒動はちっとも紳士的な助けになってないと思うのは早計だろうか。
本人達が率先して決めたことならまだしも、前世話を信じてもらえなかった云々が理由って、アホかーっ、という感じ。
前世とか霊感とか、自分の気持ち次第で何にでも出来るけれども他人には見えないものを持ち出す人は実生活でも腹が立ってしょうがない。
うちの親戚にも何人か「自分は霊感がある」「何かが見える」という人がいて、そう思うのは自由だが、何でもかんでも悪いことがあればその霊的なもののせいにしてしまいがちな点があり、それが何とも腹が立つ。
見えないもののせいにするのは楽なことだ。
私が大学時代心理学を学んでよかったと思うことの一つが、「金縛りはちっとも霊的なものじゃなくて科学的に立証できる」ということである。
確か上岡龍太郎だったと思うが、「私は姓名判断は信じません。だって桂三枝と桂小枝は同じ字画ですよ」と言っていて、妙に納得したのを思い出す。
昨日録画した上方演芸ホールを見る。
シカゴのケツアゴネタ、結構好き。
2丁拳銃の漫才で好きなネタはオカンと銭湯のネタと花火のネタだが、巡り会わせが悪くて後者は1回も生で見たことが無い。
「夢を売るのだ!」を生で聞いてみたいものだ。
今年の鶴瓶噺は、繁昌亭“でも”やるのか、繁昌亭“で”やるのかが分からずやきもき。