2006年03月08日(水)
あのころの未来にぼくらは立っているのかなぁ
ネットで九州のニュースを見てたら、ちょうど私が出た大学の合格発表のニュースが載っていた。
それがたとえ土日でも合格発表は9日にしていたから、いつのまに変わったのか、と少し寂しくなる。
で、大学のHPを見たら、私の頃は合格したかどうかを知るには直接発表を見に行くかレタックスが届くのを待つしかなかったのに、もういまや定番だけどネットでも合格番号を確認出来るようになっていて、時の流れって奴は...としみじみ。
私が現役の大学受験生だった時、隣のクラスはとかくうちのクラスと真逆のカラーだった。
“静”のA組ー“動”のB組。
“真面目”なA組ー“のほほん”なB組。
“ピリピリ”なA組ー“楽天家”なB組。
私はどのクラスだったのかというと、言わずもがなB組で、“受験生”のプレッシャーなんてどこ吹く風といった感じだった。
A組は3年生が始まった早々から、担任が率先して作った「センター試験まで後290日!」みたいな感じの日めくりカレンダーを毎日めくっていたが、B組がそれを作ったのはセンターまでどうやら100日を切ったらしいということを風の噂に聞いてからで、おまけに作っただけで満足してすぐめくるのを忘れ、その度に、A組に「ねぇ、今日はセンターまで後何日?」と恥ずかしげも無く聞きに行く有様だった。
そのくせ、本番に強いとか、やれば出来る子が多かったらしく、終わってみればクラスの7〜8割は春から大学生になり、A組より結果が良かった。
「あれだけリラックスしてたのに大学も受かってB組はずるい!」と言われたりもしたが、それは本人達が一番思っていて、(人生って分からんもんだなぁ)と思った。
高校の同級生とは今も続いているが、凝り性が多いらしく、ジャニーズ、ロック、お笑い、と生活の潤いを求めて日本列島を所狭しとかけずり回っている子が多い。
高校生の頃は全然そういう感じじゃなかったのに、久しぶりに会ったらV6のイノッチ命になってたりして驚かされる。
でも友達からしたら私の方向転換もかなり急すぎるらしい。
「あれほど入れ込んどったキムタクには飽きて、その次がなんで吉本!?」と驚かれる。
ありとあらゆるコネを使って、ティスティモのパンフレットやNTTのタペストリー、シール、オロナミンCのポスターを集めて4畳半の部屋に飾りまくっていた女。
それは私です。
自分の部屋だけでは壁が足りなくなったので居間の壁にも恥ずかしげも無く貼り、当時我が家の訪問客は好まざるとも木村拓哉がキオスクらしきところでオロナミンCを買ってあらぬ方向を見ているポスターを正面にお茶や食事を摂らなければならなかった。
それが今では、“木村”と聞いて真っ先に思いつくのは“バッファロー吾郎・木村”で、その次は“天津・木村”だ。
(木村くん、24歳かぁ。そろそろ大人の男って感じ♪)
とか高校生の頃は思ってたけど、24歳なんてまだまだ大人じゃない。
10年後は誰かと結婚してると思っていた。
あわよくば3歳ぐらいの子供がいると思っていた。
あぁ、17、8歳の頃の私が思い浮かべていた“あのころの未来”はこうなる予定では無かったのに。
ごめんよ、あの頃の私。
それでもまぁ、これはこれで悪くは無い未来なんだけど。
そういえばあの頃は、福岡までは出ても関門海峡を自分が越えることは無いと思ってたなぁ。
想像すらしたこと無かった。