つらつらきまま


2005年12月31日(土)
最後


紳助さんの番組は、現行犯で取調べを受けている小堀さんがフリーターだかなんだか答えている場面から見た。
 よって、ブログやライブでも言っていたプリッツの場面は、幸か不幸か未見。
 見たところで(あぁ、それでもやっぱり小堀さん良いわぁ)なんてことは100%思う訳は無いだろうけど、どんな最低具合だったのかはちょっと知りたかった。
 でも、いつぞやの「にっちょび!」では、開始1分も経たずに拳を握り、終わる頃には
 (コホリ、カラスにモヒカンを突っつかれたらえぇねーん!もしくは、男前でもブサイクでもない普通の顔になってまえーっ!)
 と心中雄叫びを連呼し、しばらくは小堀さんを見る度に、いら〜っとしたので、もし今回最初から見ていたら、2丁拳銃に関するあらゆることを投げ出したかも(^^ゞ。
 身元引受人に「相方はダメですか…」と訊ねていた小堀さん。
 奥さんは呼び辛いだろうが、これ以上修士さんの邪魔をするな!と、(シュウちゃんと江崎グリコに謝れ!)と年の瀬に憤ってた可能性大。
 
 >きらいにならないで〜
 も何も、2丁拳銃が“滑ったところを見たことが無い”頃でも、“コホリサイテー”な場面は割と見ていたので、意外性にショック、なんてことは悲しいかな、無いのである。
 余計な免疫だけ増えていくけれど。

私は<360度私公開ブログ>というスタンスを受け付けない読者だったので、松口さんがブログ辞めましたよ、というメールを貰うまでそのことは知らなかった。

 2001年のM-1はハリガネが準優勝という凄い結果を残したのに、私は2001年のM-1グランプリ関連番組や雑誌を殆ど見ていない。
 それが何故だったのかは忘れていたが、昨日DVDにダビングしながら思い出した。
 ハリガネの取り扱われ方が非常に屈辱的なものだったからだ。

 01年のM-1は中川家が優勝したが、中川家の優勝争いに絡んでくるコンビはメディア的にはますだおかだでなければいけなかった。
 だが、優勝決定戦にあがってきたコンビはハリガネロックだった。
 ますだおかだが伸び悩んだ一般票を逆にハリガネは取り込んで上がってきた。
 最後に控えたハリガネが、それまでアメザリが座っていた2位の椅子を奪い、優勝決定戦に食い込む。
 当たり前ながら私はこの展開に異存は無かったが、番組的にはハリガネロックは「番狂わせ」「意外な伏兵」扱いだった。
 ハリガネロックが一番屈辱だっただろうが、それはファンにとっても屈辱だった。
 いつの間にか忘れていたが、そういえばそうだったと思い出した。

 贔屓目はどうしてもあるけれど、当時のハリガネの漫才を面白くないとはどうしても私は思えなかった。
 今見てもそれは変わらない。
 
 ブログには解散を考えていたことも書いてあった。
 結果的に解散は無かったが、もしそういうことになってもしょうがないかもとある程度覚悟というか諦めていた時期はあるから、あまり衝撃は無かった。
 (あぁ、やっぱりかぁ)というか。
 そんなこと書かれてもなぁと思う私は、松口さんにとって“笑わんでもええ”人だ。

 うまくはいえないが、解散があってもそれはしょうがない。
 でも、それは勿体無いし凄く惜しい。
 品が無い書き方になるが、<言葉でイカセてくれる漫才>を経験したのは、ハリガネロックが初めてで、それ以降も無い。
 ハリガネロックが伝えたいこと・見せたいことが何なのかが、今の私には分かりづらいが、個人的にはもっと単純なことのような気がする。
 昔の映像を見ると、(この頃からだんだん変わり出したなぁ)と思ったりもするが、全体的には(あぁ、この漫才好きだったなぁ)とか(この漫才で笑ってすっきりしてた)ということを思い出すことが多い。
 それが過去の出来事のままである訳がないと思う。

松口さんのオススメブログに鐘さんがあるのが個人的には少々意外で、ありがちな間違いがありつつも、修士さんのブログを載せていることがやっぱり嬉しかった。
 修士さんの誕生日特集の会報でも今回の小堀さんと同じ企画をやったら、松口さんだけで1P使うほどコメントを寄せてくれそう。 


とってつけたようですが、2005年は皆様ありがとうございました。
 2006年もよろしくお願いします。



 Written and  arranged by  seri   || スキン by エンピツスキンニュース++