2004年12月13日(月)
ラミーチョコ
私は母親の大好物を1つしか把握できなかった。
そして母はその大好物を口にすることに間に合わないまま旅立ってしまった。
母が遠いとこへ旅立って今日で満4年。
私は毎年この日までそれは買わないし食べない。
この日になって初めて大好物を母の代わりに口にする。
それは「ラミーチョコ」。
ラミーチョコは冬にならないと出回らない。
倒れる前日まで、母は自分は今年もラミーチョコを食べられると信じていただろう。
もしかしたら願っていたかもしれない。
ラミーチョコの季節を越えれば、一応の目安となる術後満5年の春はもう間近だから。
本当にもう少しだった。
小柄な身体のどこにそんなエネルギーがあるんだろう、と思うぐらいに母は頑張っていた。
そんな母にこれ以上頑張らせることは酷だ、と誰かが思ったのかもしれない。
でも、あと少しだけ頑張らせたかった。
母と一緒に21世紀の春を見たかった。
2人であんなに待ちに待った2000−2001年のサザンの年越しライブWOWOW生中継なのに、私の傍らになぜ母の位牌があるんだろうか。
時と共に日常は戻ってきたが、それでもフトした拍子に
(もう母はどこにもいない)
ということを思い、その度に愕然とする。
4年も母に会っていない。
4年も母と喋っていない。
4年も母に触っていない。
そして、それはこれからも続く。
忘れられないほど愛されたことを良しとすることで、「これから」を辛うじて続けていけるんだろうと思う。
++++++
ルミネ終わりで帰って点けたメントレは既に「波田陽区」でしたから〜っ!
残念!…と大して思ってもいないけど。
メントレ後、色んな掲示板で“ブサイク”云々を見かけた。
面白いことを見せ続けてくれればブサイクだろうが男前だろうがどうでもいいや。
主観の問題だし。
たとえば、冷静な他人からしたら(じゃがいもの方がまだ凹凸がくっきりしている)とか(福笑いですらここまで各パーツのバランスが崩れたりはしない)というような顔でも、自分が大好きな顔は誰が何といおうと“男前”だと思う。
その逆も然り。
Jr.さんのブログに“なんとか拳銃の人”が載ってた。
それを見た人のコメントに笑ってしまった。
“ブサイクなんかじゃないです!”
“カッコイイですよね!”
と言われている人も、場所が変われば
“しりとり王で答えを考えてる時に口が開いている人”
“怪しすぎ”
だもの。
そういうもんでしょ。
そういえばスペコンの日だったか「拳(GU)」の日だったか忘れたが、ルミネのチラシラックにあった「センマ」の告知チラシを見て
「えっ!ニチョケン!?」
と手に取ったと思ったら
「なんだ、小堀だけか」
と、なんなら軽く「チッ!」と舌打ちまでつけながら元に戻していた場面に遭遇。
(露骨やな〜)とある意味感心してしまった。
何だかツボだった。
「働く場所があるだけラッキー」だけど、毎日毎日仕事三昧ってのはどうなんだろう?