つらつらきまま


2004年10月12日(火)
♪遠回りの今日の午後はいつもと変わらずに〜(「街灯」より)


雨です。
 毎日雨です。
 アホみたいに日々是雨。
 金曜日はお洗濯日和らしいです。
 あと何日あんねん。

友達の家に
 「どばくちさいゆうき」(西原理恵子・山崎一夫著/角川書店)
 があったので、
 「これ見して〜」
 と言ったら
 「おぬしも好きよのぅ」
 なんていわれた。
 いやいや、ならば持ち主のアンタはどうなんだい。
 
明日は元同僚のウッチーと食事。
 辞めた途端、私と同じように生まれ変わったというか、どこか弾けたらしく

 「ウッチーだよ〜(^_-)-☆
  明日は( ^^)/▽☆▽\(^^ ) だね!!
  せりりんと久しぶりに会うから超楽しみq(≧∇≦*)(*≧∇≦)p
  だけど実はちょっと照れる〜(〃▽〃)(謎)。
  じゃね、じゃね(⌒▽⌒)/"”」

 という、顔文字&絵文字満載のメールが届いて、いささか度肝を抜かれた。
 
 で、つい、その雰囲気に乗ってしまい
 「〜(略)じゃ〜ねっ☆Fromせりりん」
 
 なんて返信してしまった自分がちょっとウツ…orz
 なんだよ“〜りん”って。

今日会社に行く時
 (今年は思い出さなかったなぁ)
 ということに気づいた。
 何にか、というと
 “初めて劇場に足を踏み入れた日”のこと。

 10月1日に今は無き吉本ゴールデン劇場に千原兄弟を見に行かなかったら、私はこのサイトを開いてなかった。
 そして、この時見た千原兄弟のイベントが面白くなかったら、2週間後に控えていた2丁拳銃のイベントを見に行ってなかった。
 2丁拳銃のイベントは面白かったし、その時出てたロザンに興味も湧いたけど、翌月ロザンが来るSbFのメンツにハリガネがいなかったら、SbFは行ってなかった。
 もし自分が行った回でハリガネがMCじゃなくてネタ組だったら、翌月から始まった「大阪芸人福岡芯取りイベント」の「ハリガネったい!」を見に行かなかっただろう。

 2000年10月〜12月に見た、たった4本のライブから、このサイトは始まった。

 2000年のその時期は、何か夢中になれるものがないと、とてつも無い空虚感と喪失感に押しつぶされそうだった。
 奇しくもその年、修士さんも私の母と同じ病気でお母さんを亡くしたことを知り、テレビや舞台の向こうで頑張ってる修士さんを見ることが、私の起爆剤だった。
 
 違う意味での起爆剤だったのがハリガネロックの漫才だった。
 どんなにどん底の時でも、何故かハリガネロックの漫才を見終わった後は元気になれた。
 ハリガネの漫才を見てる時、私のこころは弱気が生まれる暇がなかった。
 それぐらい、ぐっと気持ちを引きつけて離さない漫才をしていた。

 漫才のツカミで
 「もう僕らもこう見えて30なんですよ〜」
 という年になった2丁拳銃を当時とのテンションの差はあれど、相変わらず見に行っているなんて、当時は全く想像してなかった。
 (それが何か?)
 みたいな感じでにやにや客席で楽しんでる私は、あの頃のの2丁拳銃と同じ年になった。
 
 母親のことは今でも忘れない。忘れられない。思い出す度にすぐ泣ける。
 けど、10月1日から今まで見てきた様々な舞台は、喪失感や空虚感といった感情を少しでも薄めさせてくれたことは間違いないと思う。
 色々なことに救われてきた。それは多分これからも。

「おーうえ日記」の平和っぷりに今更ながら凄い注目中。

アジカンで私が気になっていた歌のタイトルがやっと分かった。
 「リライト」だった。



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