2004年03月24日(水)
「正しいことは楽しいもの」
ここ数日ウツウツとしているところへ昨日、上司や先輩から
「やる気が見えない」「見ていて腹が立つ」などと言われる。
「何を考えてるのか分からない」といわれたので、今の自分の状態を話すと
「だから何?」「甘えてる」と返された。
何か、そんな感じ。
「拳(GU)」の5月分チケットを夜21時過ぎて取ってはみたけど、5月に東京にいる自分があまり想像できない。
前だったら先の予定を詰めるだけ詰め込み、絶対その日までは東京にいる、と自分に暗示を掛けていたけど。
毎日毎日唇噛んで、鈍く痛む胃をさすり、「すいません…」しか言えない。
私は今の状態の何にそんなに固執してるんだろう。
お金だよなぁ。
そういえば、「今のせりさんにお金払うのは、会社にとって凄く無駄なことの1つ」とも言われた。
じゃぁ、もう切って下さい。
もう切られることに脅えは無いです。
むしろ、そうして下さい。
自分の仕事に誇りをことは必要だが、自分の仕事を自慢するのはなんだかカッコ悪い。
“自慢”を謙遜に持っていこうとするのが見え見えであればあるほど。
怒ることも笑うことも実はかなりエネルギーがいることを知った今日この頃。
最近は面白いと思うことが減った。
些細なことを面白がるのは私の趣味の1つでもあったのに。
今の状態だから「内P」のハリガネはそない…だったのかしら。
そうであると思いたい。
ここ最近は「昆虫ロック」「冷たいギフト」「からっぽの町」をリピートで聞く。
「昆虫ロック」は凄くしみる。
>ぼく本当はいろんなこと いつも考えてたのに
>なぜか最近頭の中 誰もいない部屋の中
とか
>風が吹く日も何もしない どこか消えたくなるから
>頭振っても楽しくない 腰を振っても乗れない
>ぼく本当はいろんなこと いつも考えてたのに
なんてところは特に。
上原隆の「喜びは悲しみのあとに」を読む。
倒産した新聞社の社員についてのルポがチクチクした。
あそこまで会社にしがみつける人が羨ましい。
この人が書いた「友がみな我よりえらく見える日は」も読みたいが、幻冬舎文庫の方は品切れのよう。
BOOK OFFで地道に探すしかないか。
いかりや長介氏の追悼番組が続々放送される。
どこかの局がVTRのBGMにパッヘルベルのカノンを使っていた。
ぴったりの選曲なんだけども、これを聞くといかんせん
「悲しいときーっ!誰かが死んだときーっ!」「悲しいときーっ!誰かが死んだときーっ!」と、いつここが浮かんでくるからいけない。
ハルウララが泥で左目を負傷。
わたくし、コンタクトをつけたまま泣き、中で涙が結晶化したのかどうかしらないが、角膜に傷がざくざく。
昼休みに眼科を受診したところ、今週いっぱい、メガネを言い渡される。
「もう何がなんだかわかんねぇよ!」(「貫通(byゆらゆら帝国)」を歌う坂本さんっぽく叫んでみたいもんだよ、ホント)。