補完日記
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2004年08月23日(月) 耳に心で恥ずかしい、ですよ。

先日の日記に自分は本当の本当の本当にはイタいヤツではないと思っている、
ってことを書いたんですが、もうそんな自分に対する希望(笑)は捨てました。
ダメなやつだよ。今さらいろいろ恥ずかしくなってきた。しーん。。。



今日の話題は剛さんの苦手な部分について。(あえて。クールダウンを狙って・笑)


何度も言ってますが「語り」がね、どーしてもダメなんですよ。私は。
まあこれは剛さんに限定されるものではなく、おしゃれ関係の「16小節のラブレター」といえば
チャンネルを変え、一番苦手なTV番組は「24時間TV」、大家族ものも苦手、
感動再会スペシャルなんかも当然忌避回避な世界な私です。
人の話を見るのもダメですが自分のこととなったら断固拒否です。
小学校の頃親に向けた作文を書いてそれを渡さなくてはいけないことがあって、
いやでいやでいやで、どうにかして逃げる方法はないかと考えました。
親戚の結婚式に呼ばれては、花嫁の両親への感謝の手紙朗読、涙涙の感動シーンらしいのに
小学生ながら恥ずかしさというか居たたまれなさに苛まれ耳を閉じていました。
自分が結婚するとしたらアレをやらねばならないのか!!無理!!絶対無理!!
と、この頃から結婚式への憧れを放棄。

とにかく恥ずかしい。
居たたまれない。
何十年前の日本男児か知りませんが、「言葉で言わなくても分かんだろ!つーか分かれ!照れくさいこと言わすな!」
という精神を持った女なのです。私。(その割にはこの日記)



それがですよ?剛さんときたらどうですか。
文章がポエマ−なのは人のことを言えたものじゃないので、いいです。
得てして恥ずかしいもんだよね、文章って。

でも照れくささ爆発な文章を書くからといって、もしそれを朗読しろと言ったら
大概の人が拒否するではないですか。
私はこの日記を声に出して読め、と言われたら「すいません。もう辞めますからカンベンして下さい」
と哀願することでしょう。

でも剛さんは違う。
ひたすらに話す。真剣に語る。
しかも選ぶ言葉がことごとく恥ずかしい。
闘い、愛を投げる、不器用な自分、闘って、闘って〜


もうこうなると私にとっては内容いかんの話ではありません。
とにかくその語句達、その音が恥ずかしくてしょーがないのです。
うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ。
と大袈裟じゃなく心中では叫んでいます。

18日のMCは震える程でしたし、「話なげーんだよ!」なんて書いてしまったせいで、
21日にお会いしたMOCAさんとれなちさん(その節はお世話になりました・・)には
「今日はそんなに語りは長くないと思うよ!」とフォローされる始末。
それなのに、すいません。
やっぱり21日のMCも震えてしまいました・・・。
ひたすらに帽子で顔を扇ぎ続けるしかない私。終演後隣のちほさんに「見れてなかったでしょ」と言われる始末。

苦手なんだよおおおおお!!(がっでむ)


どうしてそんな言葉を使うことが出来るのか理解出来ないわけですよ!!
誤解させそうですが、剛さんが言わんとしていること自体を恥ずかしい内容だと
思っている訳ではないですよ。
ええ。よくも自分の苦労話をそこまで赤裸々に明かせるな、とは思うけど。(おい)
いや、だってさあ!
長年の集団生活で身に染みて分かっているではないですか。

てめーの話が長いヤツはうざがられる、って。
自慢と苦労話はもっての他だって。

剛さんにはその恐怖がない。
こんな話したらきっと引かれる、すっごく大変だったけど、それを懇々と語ったら
ウザ、自分だけが辛いんかよ、って思われる。
っていう、怖さ。
(もちろん、親しい友達や家族は別だと思うけど・・・)
不特定多数の人間に話すにはあまりに恐れを知らないその話術。(じゅ、術?)


やっぱり剛さんは人の上に立っているのよね。
嫌われる心配なんてない。嫌うのは自分。もしもいつか君のこと嫌いになってしまったらなんて。


剛さん程、世界の中心にいる人を、とりあえず私は知らない。
(それは何より、私の世界の中心にいる人が今剛さんだからかも。あいたー)



これは装飾品の話です。
言葉という装飾品。
言葉はコアでもあり、飾りでもあるんだねえ。(こ、コアて・・恥)

だから、剛さんが伝えようとしてくれていることは、簡単な言葉に自分で置き換えてみれば、
こんな過剰反応を起こすこともなく、咀嚼できるんです。

やりたいことがあった。
でも、中途半端になるならやらなくていいやと思った。
思い通りにするのには、本当に大変でたくさん障害があったけど、やるからには乗り越えたいと思った。
そうしたら色んな人が助けてくれた。
だから、自分ももっと頑張ろうと思う。自分のためにも。助けてくれる人のためにも。
そしてそれが、自分がやりたいことだから。



でもね、剛さんの中にああいう言葉があるのは、それだけ必死に真剣に生きているからなのかなあとも思います。

闘う闘う、言い過ぎ!
って思う。だって自分の世界にはない言葉だから。
私の生活には、そんなものないんだ。
期待も失望も。


恵まれて生まれ、恵まれて育ち、そして恵まれた環境にいる人。
きっとそこには、私の知らないことがたくさんあるんだろうな。
ただの恵まれ坊ちゃんにならずに、自分でいるために剛さんは私の知らないことを
たくさん知ってるんだろうなあと思う。
(卓球の愛ちゃんが初戦を勝って報道陣に「これで少しは自信がついたんじゃないですか?」
って問われて「そんなキレイごとじゃないと思いますけど」って苦笑した時にも思った。
ああ、この子は私の知らないことを知ってるんだなあって。)



で、これを書いてクールダウンにはなったんでしょうか。




次回、苦手シリーズ第二弾。
皆大好きみたいだけど実は私はそうでもなかったよ、剛さんの腰の動きと
エロティシズムについて。(なんじゃそりゃーー!!・笑)





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