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2020年05月29日(金) パンデミック狂想曲第13楽章「根絶すべきはフォンデミック潔癖病原カルト」

この2020年、「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」の世迷言がなぜこんなにも蔓延しているのかを考えてみる。
この異様な病的潔癖信仰はいつごろから始まったのか?
恐らく、落ち葉を堆肥としてではなく、「燃えるゴミ」として処分したり、雑草を目の敵にして根絶やしに駆除したり、人間にとって益虫でもあるアリや蜂すら「アリノスコロリ」で皆殺しにすることを「普通」に受け入れるようになってから世界はおかしくなってきた。
これが今日の忌むべき「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」を蔓延らせる温床となったのは論を待たない。

数多の雑菌やウイルスとの共生によって微妙なバランスの下に人間は様々な病の脅威から守られてきた。
そのバランスは日々流動し、一秒たりとも止まることはない。
突然変異や未知の生命体との遭遇に対し、生命OSは常にアップデートされ続ける。
今回の新型コロナウイルスも例外ではない。
この生命悠久の掟であるこの「儀式」を止めた途端、人間は刻々と変異する数多の病原菌の脅威に晒され、一瞬にして食い潰されて滅びるだろう。
この地球生命体の生命維持に不可欠な普遍的「儀式」なくして人間は存在し得ない。
この過程での一定量の犠牲は進化の過程上、許容することで種の存続は成り立っているし、これまでも人々はそれを当然のこととして受け入れてきた。
その不文律を破壊したのが「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」だ。

「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」のプロパガンダが如何に現実からかけ離れた世迷言であるかは様々な機関による科学的根拠に基づく研究結果によって検証、否定されつつある。
「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義」狂信学者、紅衛兵マスコミが発表する新型ウイルス感染者なるものは、すでに症状が有る者からPCR検査なるものを経て、陽性か陰性かで判断する患者数に基づいている。
つまり限られたサンプルから数を抽出し、それに基づいて感染状況を計り続け、その数によって感染拡大や終息を判断すると。
それによると日本での感染者数は2020年5月末時点で凡そ1万6千人で死者数は880人余り。
単純計算すれば致死率5.5パーセントに上る。
感染すれば100人のうち5人は死ぬぞと人々を恫喝する恰好の材料にしている。

一方、信頼しうる科学的根拠に基づく研究結果は違う。
以前のブログにも記したが慶応大学病院が4月に新型コロナウイルス感染症以外の治療目的で来院した無症状の患者67人にPCR検査を行ったところ、4人(5.97%)が陽性者だったと公表した。
更に米国ニューヨーク州が同じ4月に住民3000人を対象に行った抗体検査によると陽性率は13、9%。
これを同州の人口約1945万人に当てはめると、270万人がすでに感染していた計算となる。
同市の4月22日までの死者は1万1267人。致死率は僅か0、63%。
東京都の死者は、4月23日時点で87人。ニューヨークと同様に実際の感染者が140万人と仮定した場合は致死率は僅か0、006%。
実際は無症状の感染者は市中に膨大に存在しており、その数を確定することはもはや現実的ではない。
2009年の新型インフルエンザ感染累計数は少なくとも900万人。その信頼できる予測感染者数から仮に現時点で日本全国で300万人程度が感染していると計算すれば致死率は0.03パーセント。
紅衛兵マスコミが流布する致死率と比べれば3桁ほど少ない計算だ。

更に日本での致死率が欧米と比べて著しく低いという点も検証されつつある。
「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」のプロパガンダに基づく紅衛兵マスコミによれば手洗いの慣習とか医療体制の充実とか自粛要請を守る国民性等という情緒的な理屈で正当化しようとしているが、そこに科学的根拠は存在しない。
まるで「根性論」である。
バットを100回素振りすれば病気も逃げ出すみたいなレベルの話。

一方で、こちらも繰り返しになるが先日のブログでも紹介した東京大学先端科学技術研究センターが発表した研究結果によれば、日本人には新型コロナウイルスに対する免疫が以前から一部存在していることが判明。
そもそも防疫体制の違いだけで死亡率が116倍も開くはずがない最大の疑問を解明した。
これらの免疫力は2003年のSARS発生後もコロナウイルスが断続的に東アジアで発生しており、東アジア人の間に風土病として流行することで獲得されていたとのこと。
免疫を持たせる原因となった存在として、東アジア沿岸部に存在する未知のコロナウイルス(SARS-X)の存在があると。
そしてこれらの未確認のコロナウイルスが、東アジア人の多くに「先行して風邪として感染」した結果、新型コロナウイルスに対する免疫力が獲得されたと結論づけている。
つまり、緊急事態宣言によって収束しているのではなく、そもそも東アジアではこれ以上広まるものではなかったという事。
こちらは様々なデータに基づく科学的検証が為されているので説得力がある。

これらをあらためて鑑みても「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」の非科学的プロパガンダが如何に人々をミスリードさせ、途方もない混乱を助長させつづけるかが解る。
すでに市中に何百万人と感染者が居るにも拘らず、限られたPCR検査に基づく感染者数だけで流行を精査すればもはや永遠にこのコロナ禍は続くことになる。
そりゃあ調べれば調べるほど感染者は居るわけだからね。
第2波どころか1万波来たってまだ足りないほどだ。
科学的根拠に基づけばコロナとの共存こそが唯一の選択肢であって、それはもうこのコロナ禍以前から「解決済み」なのに対し、「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」はこの世界からコロナが存在しなくなることのみが終息の条件という「信仰」に基づいて人々を抑圧しているから、その結果、「コロナ根絶」というありもしないゴールへ永遠に走り続けなければならないのだ。
100パーセント不可能な「ゼロリスク教条主義」を標榜する時点で全てが破綻している。
落ち葉を堆肥としてではなく、「燃えるゴミ」として処分したり、雑草を目の敵にして根絶やしに駆除したり、人間にとって益虫でもあるアリや蜂すら「アリノスコロリ」で皆殺しにした挙句、今度は顔の前に透明アクリル板を貼り付けて徘徊するとか、生涯大声を出さないとか、2m以内に隣人と近づかないとか、もうB級SFですら没になりそうな病的潔癖状況を、この世界に作り出そうとしているのが「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」の正体である。
交通事故ゼロでなければ一切の自動車運転を禁止するとか、風呂場での転倒事故ゼロのために全ての浴槽使用禁止とかそういう類だ。
誰がこんな世界を望むのか?
このままであれば生殖活動すら全否定ということだ。
一人でもコロナ感染絶対阻止であれば永遠に濃厚接触は禁止ということなのだからね。
当然男女の肉体的交渉は法律で禁止ししなければ整合性がとれない。
かつてエイズ騒動があったときも似たような論調が見られた。
性交=エイズ感染=死のごとき狂気の報道を思い出す。

結局のところ、「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義者」は生物学的性差を無視して「人間性」と「科学」を否定し、恐怖社会を作り上げようとするフェミファシズムと同様、生物としての人間を否定するカルトなのだ。
そんなカルトが見えない脅威たる新型ウイルスを利用して、この世界を支配しようと画策していると考えるのが合理的であろう。
どこかのIT富豪がこの疫病禍を利用して全世界のコミュニケーションシステムを支配下に置くという「憶測」すら真実味を濃くする。

この期に及んでも、「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義狂信者」たちは紅衛兵マスコミをして煽動を止めない。
「第2波がやってきた!再び職場放棄せよ!再開した文化、芸術、スポーツ、余暇施設を閉鎖し、全てを破壊焦土化してコロナ戦争に命を奉げよ!」と恐怖を煽り、無垢な人々に自らの「教団」への帰依を迫る。
哀れな「コロナ脳」タレント、ミュージシャン、感染学者、コメンテーターは薦んで自らの墓穴を掘るのごとく、病的潔癖プロパガンダに踊らされて小さなモニター画面から狂信者を讃える呪文を吐き出す生贄のような「修行」に精を出す。

今日の「病巣」はコロナウイルスではない。
「ネオ・クメール・ルージュ・コロナ感染拒絶原理主義」という狂った宗教のほうだ。
一刻も早くこの「フォンデミック潔癖病原ウイルス」を排除しない限り、この社会に再び夜明けは訪れないだろう。


絶望皇太子