銀色の日記
モクジイク?|モドル?|ススム?
2003年09月26日(金) |
小太郎が旅立ちました |
早いもので日記をさぼって一ヶ月。 いやいや、さぼってたわけではないんだけど。 この一ヶ月色々あったような、なかったような。。。
8月29日に小太郎が亡くなりました。 腎不全です。 8月17日に入院して、毎日毎日面会に行って、最初は少しずつ体調も良くなっていってるように思ったのだけど。 亡くなる2〜3日前から貧血がひどくなり、ご飯も食べなくなりました。
退院の前の日に「もう駄目なようなら家に連れて帰りたい」と先生に言った時は「一日中点滴で治療するから通院は難しい」と言われた。 けど、その時点で連日の点滴によるむくみがひどく、点滴はしていなかった。 翌29日、面会に行ったら「連れて帰りますか」 慌ててペットショップに大きめのゲージを買いに走った。 まだ他の子たちとうまくやれてなかったので、弱ってるコタに攻撃されないようゲージの中で居てもらおうと思って。 キャリーケースを持っていってなかったので連れて帰る箱をもらうことにした。 病院の奥から先生が持ってきてくれた箱を見た時、なぜだかすごくイヤな感じだった。 ちょうど寝かせてピッタリの大きさ。
家に帰って、約2時間半後の午後10時半頃、最後の苦しみの後コタは息を引き取りました。 亡くなる数分前まで私は仕事をしていた。 そんなに急ぎでもなかったし、量も少なかったのでさっさと仕事を切り上げコタのところにいってすぐのこと。 待ってたのかな? 仕事が終わるのを。側に来てくれるのを。 待ってたんだろうな。
思えばコタはずっと待たせっぱなしだった。 母が倒れてから数年間、コタとチビは2匹だけで実家にいた。 いつか引き取ってやろうと思いつつも、文太に悪い気がしてなかなか踏ん切りがつかなかった。 源造たちをもらった時に一緒に引き取れば良かった。 後悔しても遅い。 7月17日にコタ&チビをようやく引き取って、一ヶ月。 コタと一緒にいられたのはたったの一ヶ月足らずだった。
ごめんね。 淋しい思いばかりさせたね。 あんなに甘えん坊だったのに、もう少し大事にしてやれば良かった。 本当に後悔してももう遅い。 せめてもの救いは、私がコタ&チビにご飯をあげたりトイレ掃除している間、前の彼氏がコタをよく遊んでやってくれていたこと。 本当にコタもよく甘えて幸せそうだった。 幸せそうなコタの顔を思い浮かべることが出来るだけで感謝です。
文太が逝き、小太郎が逝き、10年一昔。 同じ時代を生きた子たちが次々いなくなるのは淋しいものです。
コタは家からはそう遠くない霊園がやってるペット霊園で眠っています。 お骨なんて・・・と言う方もおいでるでしょうが、私にとっては家族ですから。 大きな桜の木がありました。 桜が咲く頃には必ず行きたいと思います。
そう言えば、私の大好きなコミックに 「花見は無意識の墓参」というセリフがあった。 桜の下には“無意識”が埋まっているのでしょうか?
結局コタは病院からもらった箱から出ることもなく、新しいゲージは使えませんでした。
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