久しぶりにお茶を買いに行ったら お茶だけで4000円近く使ってしまった。 ……と、それから考えた話。
こだわりとは、どこに境界線を引くのか、と きっとそんな所できまるのだろう。
4000円も使ってくれば 普通に話したらお茶が好きなんだな、と 認識されそうである。
まぁ、好きといえば好きなのだが 紅茶大好きという人からすると 随分いい加減な好きに分類されそうだ。
例えば紅茶で ゴールデンルールで淹れたお茶以外認めない、とか ゴールデンルールでなくてもいいけど ポットとカップは暖めておかないのは許せない、とか ホッピングしてないから…… 硬水でないと―― フレーバーなんて論外、とか。
きっと色んなところに境界線があって どこまで許せるかって所にこだわりが。
私の場合、その境界が随分いい加減なところにある。
適当にヤカンで沸かして ガラスのポットに、ポットを暖めることなどせず そのまま淹れてしまう。 ポットの中には網。 片付け楽チン。
一般には陶器のポットの方が 冷めにくいって事で歓迎されているようですが。
はっきり言ってしまえば、細かい味の違いが分からないし。
それで高いお茶買ったりしているんだから 傍目に見れば無駄遣いとしか言いようがないような。
それでも、やっぱりティーバッグは嬉しくないし ミルクティならルフナだ、 そのまま飲むならヌワラエリア、と 微妙なところに境界線を持っている。
見えない境界線がこだわりならば 当然、他人からは見えないわけですよね。
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