なんていうのか、もしも運命が実際にあるというのなら それは世界の繰り返しなんじゃなかろうか?
時々書く気がするが 基本的にあらゆる選択は必然だと思っている。 私が今日、この日記を書く事を選択したのも 夕食がカレーだったのも 自転車で迷子になったのも必然だ。
それを選択したのは私で 適当に進んで迷子になったのであっても その道を曲がろうとしたのは私だからだ。
理由は無くても、そう発想したのだから。 頭では考えた理由が無くても 他に理由があるかもしれない。
ペダルの位置が進みやすかったから。 ハンドルがたまたまそっちにきれていたから。
でも、ペダルもハンドルも連続した時間の結末なのだから やっぱりそれは必然だ。
もしも、もう一度今日が起きたとしても 多分行動は変わらない。 あらゆる物に意味があるから。
例えば、カオス理論。 スタートが僅かにでも違えば ゴールは全然違うものになる。 ほんの僅かな変化が、大きな変化に繋がる。
それはつまり、全く条件が同じなら(現実にはありえないが) 全く同じ結果を返すという事になるのではないだろうか。
で、その現実にはありえない、 つまり時間の繰り返しが起こったとすれば 全く同じ結果をもたらす。
全く同じ過程と結果が複数あるなら それは定まったものである。 故に運命、と。
また繰り返すと考えながら生きれば 色々怖いものなくなるんじゃないだろうかなどと バカな事を考えてみる今日。
まぁ、輪廻転生しようが何しょうが、 今の記憶を引き継げないなら意味は無いんだけどね。 で、今の記憶引き継いだら その時点で違うものになっちゃうんだけどね……。
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